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貴方は一体、なにを見ていたの?
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雨粒が木々の隙間から落ち、細く、甲高い音を立てている。
生い茂った木々によって闇が落ちた山奥で、ファウストは荒い息を吐いていた。この悪天候のせいで空気が湿り、傷の治りが遅い。じくじくと膿んだ傷が熱を持って痛みを訴えていた。
大木に体を預け、物音がするたびに飛び起きるという日々を、何度送ったことだろう。
今もファウストの脳裏には忌々しい光景がこびりついている。
憎しみだけが、傷を負った体を動かしていた。
「ホーテンさまっ……!」
愛しい人。なによりも大切な人。
捨てられた自分達を見つけて、手を差し伸べてくれたその人は、ファウスト達にとって、世界に等しい人だった。彼のためならば、どんなことだってできた。幼い体を明け渡すことも、他の誰かに偽りの忠誠を誓うことも、容易かった。それであの人が褒めてくれるのならば、苦ではなかった。
彼が望むなら、どんなことでもすると誓ったのだ。バケモノと忌み嫌われた兄妹を愛してくれたあの人の傍にいると、二人で誓ったのに。
だのに、ルチアは裏切った。たった一人の妹。ずっと一緒にいようねと言ったのは彼女の方だったのに。救われた恩を忘れ、あんな男に寝返った。
許せない。許さない。ルチアも、レンツォも、そして、あの神の後継者も。
あの女がいなければ、計画が邪魔されることはなかった。第三王子も殺し、王位はホーテンが継承し、クレメンティアがその妻となる。すべては彼の望むとおりになるはずだった。
なにもできないくせに、蒼い髪を持ったあの女は、アスラナの騎士長に守られて、今ものうのうと生きている。ヒトとは異なる力を持っているくせに、神の子だと崇められて、さぞいい気分でいることだろう。
「殺してやる。ぜったいに」
忘れない。
シエラ・ディサイヤ。
神を継ぐ者を殺せば、世界が滅びるという。望むところだ。ファウストの世界は、もうとうに壊れた。ならばこの世に未練はない。壊れてしまえばいい。絶望を味わえばいい。
ホーテンと同じようにあの白い喉を突き、鮮血を噴き出させて殺してやる。エルクディアも、クレメンティアも、全員だ。
そのためには生き延びなければならない。どれほど無様であろうが、命を繋ぎ、ホーリーから脱出し、アスラナへ向かわなければ。
街にはすでに手配が行き届いている。怪我の治らない体では、一般兵すら殺すことは難しい。早く治して、早く殺しにいかないと。
山に逃げ込んだファウストの頭には、その考えしか存在していなかった。
ふいに、ぬかるんだ土を踏みしめる音が聞こえて、ファウストは支えにしていた槍を強く握った。追っ手だろうか。一人くらいならばなんとかなるだろう。
痛む足に鞭打ち、低く構えて息を殺した。人影が揺れる。反射的に飛び出し、槍の切っ先を喉元に向かって突き出した。相手が誰であろうと関係ない。殺すつもりで繰り出した一撃は躱されることのない速さだったというのに、肉を突く感触を捉えない。
「ひっ」
代わりに小さな悲鳴が聞こえ、突き出した切っ先よりも遥か下の方で、小さな頭がこちらを見上げていた。
「……誰だ、おまえ。答えろ」
「ヒナナ、と……」
呆然としながら少女が答える。年はルチアと同じか、少し上だろう。ファウストと同じくらいかもしれない。雨避けの頭巾から覗いた髪は黒く、瞳も黒い。異国の雰囲気が漂う顔立ちだが、少女は共通語を淀みなく口にした。
敵かどうかは分からない。分からないなら、殺す。
再び槍を構えたところで、「ああっ!」と少女が声を上げた。
「怪我をなさっているんですね。ああ、こんなにも膿んで……! 手当てします、どうか座ってください」
「離せ!」
「そう手負いの獣のようにしなくても、あなたを傷つけたりはしません。どのような事情かは知りませんが、こんな大怪我をした方を放っておくわけにはいけません。どうか座ってください」
ヒナナと名乗った少女は提げていた鞄の中から消毒液と包帯を取り出し、有無を言わせずファウストの傷を治療していった。これが終われば殺そう。検分するように黒いつむじを見つめていると、沈黙に耐えかねたのかヒナナが問うた。