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 それを静かに目で追いながら、シエラは内心で舌を打った。祓ってしまえばよかったか。一瞬で砕き、邪魔をする者は一掃してしまえばよかった。それにしても、ああ、楽しい。醜悪な人魚達が沈んでいく。いい気味だ。美しくないものは不要だ。魔に堕ちたものに、裁きが下るのは当たり前のことだ。
 神の力に翻弄される姿が、こうもおかしいとは。
 声を出して笑いそうになったとき、神気が駆けていた腕を強い力で引き寄せられた。――邪魔をするな。怒りが湧き上がるが、睨みつけた先にあった金髪を見て、すぐに霧散する。
 同時に、シエラの意識もそこで途切れた。




「ッ、ハァ、げほっ」
「エルク! 無事ですか!?」
「ああ。それよりシエラが怪我をしてる。ライナ、治してくれ」
「分かりました。エルクはルチアをお願いします!」

 船に引き上げたとき、シエラはすでに気を失っていた。人魚によって傷つけられた傷は、ライナの癒術がたちどころに治していく。白い首筋に残った赤も、指で拭えばすぐに消えた。手足の傷も綺麗に塞がり、規則正しく上下する胸に安堵する。
 それを見ながら、エルクディアはぐったりと横たわるルチアを前に動けずにいた。シエラが命を懸けてまで助けようとした少女は、殺してやりたいとさえ思った相手だった。このまま放っておけば死ぬだろう。子供相手に大人げないと言われようと、どろりとしたものはなかなか消えてはくれない。
 シエラを癒したライナが、試すようにこちらを見ている。なにが「絶対邪魔しないから」だ。とんだお荷物じゃないか。エルクディアは一つかぶりを振って、ルチアの首の後ろに手をやった。軌道を確保して、小さな鼻をつまみ、口を覆って空気を送り込む。これは毒を生み出す唇だ。救ってやる義理など、本当はない。
 何度か人工呼吸を繰り返すと、ルチアは苦しげに水を吐いた。体を横向きにさせ、背をさする。げほげほと大きく咳を零したルチアの瞳が、ゆっくりとエルクディアを捕らえた。

「……える、く?」

 意識を取り戻したのなら用はない。呼びかけには答えず、エルクディアは気を失ったままのシエラに駆け寄り、抱き上げて船室へと運んだ。ルチアはライナがなんとかするだろう。
 船の周りの人魚達は、もういない。半数近くが海底に沈み、それを見て残りの人魚達は去っていった。この船は一度、港に戻るだろう。
 濡れた髪を拭いてやりながら、エルクディアは今しがた見た光景を思い出す。
 淀んだ海中に光が差した。青白い光だ。澄んだ水中に陽光が差し込んだような、そんな光だった。それまでシエラの姿が見えないほど群がっていた人魚達が、声なき声を上げて離れていくのが見えた。水を蹴るわけでも、泳ごうとしているわけでもないのに、シエラはそこに静かに立っていた。ここは水の中だ。だのに、彼女は確かに、「立っていた」。
 波にさらわれて、蒼い髪が扇状に広がる。淡い光がシエラの全身を包み、流れ出した血が蛇のように海の中を泳いだ。薙ぎ払った指先から放たれた光が、人魚達を氷の中に閉じ込める。
 そのとき、彼女は確かに笑っていた。どこか楽しそうに。粛清を喜ぶかのように。
 はっとしてシエラの腕を掴むと、彼女は殺気に似たものを滲ませてエルクディアを睨み、糸が切れたように気を失ったのだ。

「とんでもない光景でしたね」
「……ルチアは無事だったのか?」
「ええ。今は乗組員の方に任せて、別の部屋で休ませています。……でも、まさかシエラがあの海に飛び込むだなんて」
「誰だよ、シエラは他人に無関心だって言ったの。……関心がありすぎて、困るくらいだ」
「そうかもしれませんね。本当に……。ああそうだ、エルク。ルチアを助けて下さって、ありがとうございました」

 ライナは知らない。あの少女が、シエラやエルクディアになにをしたのか。ベラリオの城でなにをしていたのか。
 おおよその見当はついているのだろうが、実感はないのだろう。でなければ、潔癖に近いライナがルチアの存在を容易く受け入れるはずがない。
 寝台で眠るシエラを見つめ、ライナは切なげに眉を顰めた。

「シエラには、強い力があります。わたし達とは比べ物にならない、強い力が。それはきっと、神に等しい」

 確かに見た。
 圧倒的な力を持って冷たく微笑む様は、あまりにも美しく、そして恐ろしかった。

「……エルク。ロルケイト城に戻ったら、話があります。アビシュメリナでは話せなかったこと。……もう、わたしの胸だけには、とどめておけません」

 シエラの頭を撫でる手は、どこまでも優しい。
 エルクディアはざわつく胸を隠し、静かに頷いた。


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