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なおも食い下がろうとするライナに、ゴルドーは焦りと苛立ちの混じった視線を投げて踵を返した。仮にもここは神殿だ。それに、シルディが絶対の信を置いている。
シエラは水気を含んだタオルをエルクディアに渡し、小さく頷いた。
「大丈夫だ。行ってくる」
「ああ、気をつけて」
「いってらっしゃい、シエラ。テュール、こちらに。お留守番ですよ」
小さな竜はライナの腕の中でくるりと丸まった。彼らにはシルディが詳細を説明するのだろうか。
ゴルドーに続いて扉を抜けると、薄暗い廊下へと出た。石造りの壁に蝋燭が灯されているが、それでも足元に不安を覚える暗さだ。歩くたびに足音が反響し、呼吸音ですら大きく聞こえる。
どこへ行くのかと訊ねようとして、ゴルドーが先に唇を割った。
「――姫神様をお呼びしましたのは、蓼巫女様にございます」
「蓼巫女が、私を?」
「ええ。本来、蓼巫女様はあれでいて高潔な方。その崇高なるお役目の最中、お倒れになられました。現在も臥床なさっておいでですが、その際、何度も姫神様のお名前を口にされておりました」
「なぜ私を……。それより、蓼巫女は大丈夫なのか?」
長い廊下はまだずっと続いているようだ。足早に歩を進めていたゴルドーが急に立ち止まり、重たい息を吐いた。
「姫神様。あなた様は、この世の成り立ちをどれほどご存知でおられますか」
「え? なりたち……?」
「白き御名の創世神様が、この世をお創りあそばした。そのまどろみから、姿かたち、心までもが美しい幻獣が生まれた。創世神様の光には、影が生じ、そこで魔王が目覚めた。魔王は魔物を創ったが、創世神様と魔王が争うことはなかった」
ぞくり。
シエラの背を冷たいものが落ちていく。唐突に始まった創世神話に訝る暇もない。ゴルドーは、畳み掛けるように静かに語る。
「多くの国を生み、獣を生み、人を生み――、この世を守護する神々は、すべて創世神様のくちづけから生まれたのです」
海に、空に、木々に、花に。
ありとあらゆる世界に愛を与え、口づけ、その結果、神や精霊が生まれた。
神と、人と、魔が混じりあった世界は美しく、清らかであった。
「ある日、創世神様と魔王は決別した。なにが原因だったのかは存じませぬ。どの書物にも記されておりませぬゆえ。ですがその決別以来、魔はただの影から悪しきものへと変貌した。清らかなるものを穢し、血を撒いた。創世神様の愛した世界を蝕み、それゆえ、創世神様は人の子に自らの力をすべてお分けになった」
創世神は世界そのものだ。
だから、世界が穢されればその力も衰える。
力尽きる前に、自らの力を分け与えたのだという。それがなぜ人の子だったのかは、分からないけれど。
「その話が、今回のことに関係あるのか?」
「あると言えばございますし、ないと言えばございません。どこの誰からでも聞けるお話です。なれど姫神様、どうかお心に留めおきください。創世神様は慈悲深きすべての母であれど、創世神様が最も愛したのは、人の子であったのだと」
「意味がよく、分からないんだが……」
「すべての神が、創世神様と同じ考えではおられないということだけ、それだけ覚えておいてくだされば結構ですよ」
しばらく歩けば、やっと廊下の奥に扉が見えてきた。いかにも重たそうな扉を押し開ける間際、ゴルドーは感情の読み取れない表情でぽつりと零した。
「これより先で見聞きしたことは、けして他言なさいませぬよう」
シエラにはゴルドーがなにかを恐れているように見えたが、扉が僅かに開いた瞬間、肌を焼くような痛みを感じてそれどころではなくなった。痺れるような痛みが肌の表面を這い、粟立たせる。至聖所に足を踏み入れると、それはさらに激しくなった。
空気が違う。さほど広くはない一室の中央に、棺のような神台が設置されていて、水の流れる音がひっきりなしに聞こえていた。促されるまま台座に近寄り、水で満たされたそこに眠る人の姿を見て、シエラは目を瞠った。
色をなくした小さな顔は、無邪気に笑っていた蓼の巫女のものに他ならない。