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 波が荒れ狂う。叩きつける風雨の強さに、港に軒を連ねる露店の屋根や棚があちこちに転げ回っていた。高くせり上がった波が市外へと流れ込み、逆流によって水路が氾濫しかけている。積み上げた土嚢でなんとか被害を防いではいるが、それが決壊するのも時間の問題だろう。
 船が出せる状況ではない。暗く淀んだ空を稲妻が裂く。
 突如としてホーリーを襲った嵐は、ディルートの街を再び混乱に陥れた。
 荒れた海からは人魚の悲鳴が轟いている。――海神(わだつみ)に祈りを。ディルートの守り神に、助けを。ルタンシーン神殿で祈りを捧げていた蓼の巫女は、額にうっすらと汗を滲ませて息を吐いた。
 声が。歌が。――怒りに満ちた慟哭が聞こえた瞬間、その華奢な体が、くずおれた。

「蓼巫女様!」




 ディルートの天気が荒れ始めたのは、つい先日の話だ。帰国を目前に控えていたものの、船が出せる状況ではないのは素人目にも分かる。窓を揺らす強風には大粒の雨が混ざっていて、外出する気すら起こさせない。
 明らかな異常気象だ。ロルケイト城の誰もがそう零し、不安げに外を見つめていた。そんな中、びしょ濡れになりながら城を出たのは、緊急事態が生じたせいだった。自ら調査に出向いたシルディが、唇を真っ青にさせて帰ってきたかと思うと、彼は濡れた手でシエラの肩を掴んで喘ぐように言った。

「ごめん、シエラちゃん。今すぐルタンシーン神殿まで来て」

 ルタンシーン神殿に着く頃には、シエラ達の姿はまるで海の中に潜ったようだった。全身ずぶ濡れで、乾いているところなどまったくない。雨避けの外套などまったく意味をなさない豪雨に、胸の奥がじりじりと焼けるような嫌な感じを覚える。海の方からなにかが迫ってくるような、圧迫感にも似た恐怖が冷えと共に体を蝕んでいく。
 手入れの行き届いた庭を抜けて神殿の大扉の前に着くと、中から巫女達がぞろぞろと出てきて濡れた外套を預かって奥へと消えていった。渡されたタオルで髪を拭きつつ、案内されるままに奥へと進んでいく。
 誰もが立ち入りを許される祈りの間を目にし、シエラは思わず息を呑んでいた。
 吹き抜けになった天井は高く、中央に螺旋階段が吊られている。その奥には小さな祭壇を見守るようにして、美しい男神の彫刻が飾られていた。下半身が蛇型の竜のようで、逞しい腕には槍が握られている。波打つ髪の細部までが表現されたその姿はまさに圧巻で、数拍遅れてそれがルタンシーン像なのだと気がついた。
 神殿内は円形状になっており、壁のあちこちに扉が供えられていた。その中でも最も大きな扉から、血相を変えた老人――ゴルドーが飛び出してきた。

「ああ、お待ち申し上げておりました、姫神様!」

 言葉は最初こそホーリー語であったが、ゴルドーがすぐに共通語に切り替えたので不自由はない。すでに顔を合わせたことがある彼は、あのときよりも心なしかやつれたように見えた。
 シエラの後ろに控えるエルクディアとライナを見て、老神官はシエラにしたのと同様に頭を下げる。ぼさぼさの白髪がなんとも痛々しい。

「いったいどうしたんだ?」
「事情もご説明いたしませんで、大変申し訳ございません。しかしながら姫神様、事態は一刻を争うのです。道中ご説明いたしますゆえ、今はどうか、なにも訊かずにわたくしに着いてきてくださりませんか」

 どうしたものかとエルクディアに視線をやると、彼はただ一つ頷いた。

「……分かった。案内してくれ」
「心よりの感謝申し上げます。……ああ、申し訳ございませんが、騎士長様とそちらのお嬢さんは、こちらでお待ちいただけますか。これより奥の至聖所(しせいじょ)には、本来、蓼巫女様とわたくししか足を踏み入れることは許されておりませぬゆえ」
「ですが、シエラを一人にするわけにはいきません。わたしもアスラナが認めれる宮廷神官の身、どうかご一緒させてはいただけませんか」
「なりません。あなた様とわたくしでは、仕える神が異なりましょう。いかに創世神様が偉大であろうとも、この神殿の祀り神はルタンシーン様に他なりません。それに、至聖所への立ち入りは王子殿下でさえご遠慮願っております。どうぞご理解を。ルタンシーン様に誓って申し上げます。姫神様に危険は一切ございません。今は時間が惜しいのです」


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