17 [ 35/682 ]

 この非常事態に冷静沈着を保っていると言い切れば、嘘になる。エルクディアの口元に、乾いた笑みが乗せられた。
 今まで彼が剣を振るってきたのはほとんどが戦場で、それ以外では賊の討伐依頼などが出たときくらいのものなのだ。
 突然襲い掛かってくる者達を、護衛の名の下に切り捨てたことは多々ある。だが、いくら闇や殺気、戦闘行為そのものに慣れていたとしても、城の天井を突き破って奇襲をかけてくるような賊など今まで相手にしたことがない。
 幸いにも常日頃の訓練のおかげで滞りなく避難させることはできたが、正直そのあたりまでで一杯一杯だった。
 頭が深く強く望みだす。――今の詳細な状況、そしてその理由を。
 しかしそれを考えている場合ではないことは明白だ。今考えなければならないのは、この状況の原因ではなく、いかにして賊を捕らえるかというこれから先のことなのだ。
 青年王に万が一のことなどあってはならないし、ましてや神の後継者になにかあっては己の首一つでは済まされない。
 落ち着きを取り戻して冷静に働く頭とは裏腹に、心臓は忙しなく駆け出していた。かつり、と足音を立てる。
 青年王とはつかず離れずの距離を保ち、一歩一歩に念を込めた。
 三歩も進まぬ頃、押し殺したような殺気を感じ瞬時に剣の構えを正した。瞬き一つ分の間にギィン、と鈍く振り下ろされた鋼の感覚が柄を伝って腕を通り抜ける。

 ――まずは一人。

 エルクディアは間髪入れずに手首を返して剣を引き戻し、迷うことなくそれを闇の中へと突き立てた。
 ぐっと苦しげな呻き声が聞こえるが、彼が表情を変える様子はない。
 もしこの場の視界が明るかったならば、周囲はその酷薄なまでの雰囲気に息を呑んだことだろう。
 剣にかかる重みが増したのを感じて引き抜けば、どさりとなにかが崩れ落ちる音がした。
 それとほぼ同時に、パァンと甲高い銃声が鼓膜を叩く。

「なっ……!」

 まずい。
 エルクディアの背を氷塊が滑り落ちた。引き金を引く音と、銃口が一瞬見せる光とで弾丸を避けられる自信はあった。そう、自分自身は。
 シエラ達はもうオリヴィエが安全な場所へ避難させていることだろう。けれど、ユーリは。
 魔物との戦闘において青年王の右に出る者はいないだろうが、これは相手が人間の戦いなのだ。それも武器が銃となれば、いささかこちらの分が悪い。
 この世に出回る銃は、弾が直接人を傷つけることはない。人肌に触れるその瞬間、どろりと溶け出す特殊な金属で作られているからだ。とはいえ、貫通しないだけで、食らう衝撃がまったくないわけではない。息が詰まり、体の動きは鈍るだろう。
 シャンデリアを狙いでもされれば、落ちてきたガラスの破片に身を切り刻まれる。
 先に銃所持者を片付けようと駆け出したエルクディアの視界の端で、凄まじい殺気と共に影が踊った。
 ほぼ反射的に飛び退れば、つま先になにかが掠めて床に突き刺さる。僅かに輝きを放つ銀の刀身を見て、彼は瞠目した。
 もしも反応が遅れていたら、今頃右足は床に縫い止められていたことだろう。それはすなわち死と直結する。
 なれど戦慄よりも先に笑みが零れた。どくり、と武人の血が音を立てて騒ぎ始める。

「何者だ」

 高揚する気分を抑え、幾分か低い声音で尋ねた。返事の代わりに風を切り裂く音が耳朶に叩きつけられ、狂いない一閃がエルクディアの真正面から振り下ろされる。
 その速さに彼は思わず口端がゆるく持ち上がるのを自覚した。

 ――強い。

 先ほど切り捨てた賊とは比較にならぬ実力の持ち主だ。気になるのはその使用武器。この軽さは長剣ではなく短剣だ。
 これほどの手練であれば、長剣だろうと楽に使いこなせるだろうに。
 相手の一撃を受け止めたその一瞬でそこまで考えたエルクディアは、受け流すことも弾いて斬り返すことも可能だったが、相手の力量を見定めるためにあえて動きを止めた。
 ぐっと刀身に体重が乗せられる。思いの外強くはない力に若干拍子抜けした。
 だがそれはすぐに間違いだと気づく。

「しまっ……!」

 なぜ短剣なのか。
 それは長剣では防ぎきれない相手の懐に飛び込み、至近距離からの攻撃が目的だからだ。
 エルクディアの剣に乗せられていたのは片手分の力しかなかったのだ。
 こちらが力量を推し量っていることを悟って利用し、片方の手に本命の短剣を握っていたのである。
 腹部に微細な風圧を感じる。
 慌てて剣を返して短剣を打ち払ったが、第二波は完全に避けられそうにない。びっと音を立てて軍服が裂け、じんと熱くなった脇腹から皮一枚を切られたのだと察した。
 油断していたとはいえ、腹部に傷を受けるとはゆゆしき事態だった。浴びせられる嫌味を想像して舌打ちし、相手に一矢報いるやろうと体勢を立て直す。
 そこに、二度目の発砲音が天を貫かん勢いで響き渡った。――今度はなぜか、不釣合いな女の悲鳴を伴って。


「きゃああああああっ、どうしよリースぅぅぅぅっ! 教官から借りた銃、壊しちゃったーーーー!」



[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -