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 魔導師二人が見張りの兵士を昏倒させ、城を離れたことについては、まだ公にしていない。そのうち嫌でも広まることになるだろうが、ユーリの口から今後の立ち回りについて発表するのはもう少し先にする予定だ。
 聖職者と魔導師。似て非なる対極の存在。目指すところが似ているだけに、分かり合うことがより難しいのだろう。そろそろ動くだろうと思っていた。なんの裏もなしに、魔導師の中核となるあの学園が接触してくるわけがない。

「変わらずにはいられないようだよ、この国は」

 口下手な男が気の利いた返事をしてくるなど期待もしていないので、ユーリは最初から独り言のつもりでそう言った。誰かに弱音を零したかったのかもしれないと思い当たって、己の弱さに辟易する。
 ちらと視線を向けたオリヴィエは、案の定答えに困った顔でそこに突っ立っていた。その変動に耐えられるのかと訊かれているようで、ユーリは思わず目を反らす。

「そういえば、フェリクスもそろそろ帰ってくるね」
「愚兄がですか」
「そう言わないでおやり。フェリクスはレンツォ・ウィズの命の恩人らしいから」
「あれが?」

 兄の名を聞いて、目に見えて不機嫌を露わにしたオリヴィエが、王の前だと言うのに鼻を鳴らして不遜に笑った。すぐさまはっとして謝罪が入るが、どうやら反射的に出てしまう感情はどうしようもないらしい。
 ホーリーの第三王子付き秘書官の話は、当然ユーリの耳にも届いている。彼の命を救ったというのだから、フェリクスには褒美を与えてしかるべきだ。
 何度か式典の折に見かけたことのある薔薇色の髪を思い出して、ユーリは小さく溜息を吐いた。冷えた灰色の双眸が、見定めるようにこちらを見ていた。言葉はなかったが、その目がすべてを物語っていた。アスラナがホーリーとの関係を見誤れば、あの男が確実に牙を剥く。

「もう下がっていいよ、オリヴィエ。私も少し休みたい」
「御意。それでは失礼いたします」

 部屋を出るオリヴィエの後姿を見送る前に、ユーリはペンを手に取った。休みたいと言ったのは本音だ。だが、横になろうと眠れる気がしない。なら、眠れるまで動き続けるしかない。
 死にまするぞ。シクレッツァにそう諭されたが、この程度で死ぬほどの体力ではない。
 広い部屋にたった一人でペンを走らせていると、幻聴すら聞こえてきそうだった。どこか遠くで少女が笑っている。楽しそうに。しあわせそうに。その笑声が、耳に心地いい。

「……大丈夫。私はまだやれる」


+ + +



「あと三日か」
「やっといろいろ片付いたからな。嵐の予報もないみたいだし、三日後にはここを発てるだろ」
「色々と手間をかけさせてしまってすみません」
「ライナのせいじゃないよ。なあ、シエラ」
「ああ。ディルートでのんびり過ごすのも、悪くなかった」

 ライナの状態もすっかり安定し、シエラやエルクディアの傷も癒えた頃、ホーリーの空はとても穏やかに澄み渡っていた。耳はすっかり波の音に慣れきっていて、海が遠いアスラナの王都に戻った際、しばらく落ち着かない気持ちになりそうな気さえしている。
 魔物が現れたという話も聞かず、帰国を前に、シエラ達はロルケイト城やその城下でのんびりと過ごす毎日を送っていた。――とはいえ、忙しくなかったわけではない。あんなことがあったあとだ。エルクディアは何度もホーリーの役人から呼び出しを受けたし、それはシエラとて例外ではなかった。
 アスラナへの書状も何枚も書いた。神経の擦り切れるような日々が続いたこともまた事実だ。だが、それがすぐに落ち着いたのは、シルディとレンツォのおかげだろう。あの二人の迅速な対応によって、シエラ達はすべての疑いを晴らしてここにいる。
 ホーリーは変わらず、多忙を極めていた。二人の領主が――それも王子が、同時期に亡くなったのだから、国が混乱をきたすのも仕方のないことなのかもしれない。シエラにはよく分からない忙しさで、シルディの目の下には色濃いくまができてしまっていた。
 再び身に纏った神父服は窮屈だが、やはりこの窮屈さが落ち着くらしい。シエラにと用意されていた衣装はたくさんあったが、結局この服に戻って来てしまった。
 テラスへ出れば、潮の香りを含んだ風が髪をさらう。白い飛沫を上げる波も、美しく澄んだ青海も、今のうちに目に焼き付けておきたい景色だ。

「……ん?」

 ゆらり。
 美しい海の端で、なにかが揺れたような気がして目を凝らす。だが、なにがあるわけでもない。魚でも跳ねたか、波で煽られたなにかだったのだろう。シエラはぼさぼさになった髪を手櫛で纏め、室内へと戻っていった。


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