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 いつも以上に法衣が重たく感じる体を椅子から引き剥がし、棚に仕舞ってあった資料を取ろうと立ち上がったところで、ユーリの意識がふつりと途絶えた。視界が暗転したのはほんの一瞬だ。気がつけば、傾いた体が何者かによってしっかりと支えられていた。背中に腕が回され、そのまま長椅子に促される。未だにぼんやりと翳った視界に、男の姿が映り込んだ。

「大丈夫ですか、陛下」
「助かったよ、オリヴィエ。ところで、いつの間にいたのかな、君は」
「しばらく前にお声かけさせていただき、入室の許可をいただきました」
「ああ、そう。そういえばそうだったね」

 部屋に誰かいたことなど、すっかり忘れていた。そもそも声をかけられた覚えもなければ、許可を出した覚えもない。この生真面目な男がこんな嘘をでっちあげる可能性もないので、どうやら無意識の行動だったらしい。
 差し出された水を一気に飲み干して、ユーリは瞼を下ろした。相手がオリヴィエであれば、気を抜いたところでそう問題もないだろう。
 そんなユーリの姿を見て、仏頂面の騎士の表情が歪む。

「……眠れてらっしゃいますか」
「たぶんね」

 あれが眠りと言えるのなら、眠っている。
 笑顔を絶やさず、けれども押さえるべきところは押さえ、不平を漏らす者にはエサを撒いて黙らせる。聖職者という綺麗な響きを汚すことすら厭わない。書類と人と魔物と、それぞれとくたくたになるまで向き合って、明け方近くになって前触れもなく意識が途切れる。気がつけば机や床に伏しており、顔を洗って法衣を着替えると、また同じことの繰り返しだ。
 シエラ達がホーリーへ赴いてから、そんな日々が続いている。アビシュメリナでの一件も聞き及んでいた。あのときはまだ、ここまで騒がしくはなかったけれど。

「ええと……、それで、なんの用件だったのかな」
「は。――総隊長殿の件についてです。ホーリーでの一件、騎士団内でも動揺が見られる様子。表立って総隊長殿を非難する輩は見えませんが、やはり、その……」

 報告で口ごもるなど、この男にしては珍しい。
 うっすらと目を開けて、ユーリは苦虫を噛み潰したようなオリヴィエの顔を覗き見た。

「……ああも容易く謀略に乗せられてしまう男が長では、戦時に不安が残るという声も……」

 ずくり。頭の奥の方が鈍く痛む。

「それは左右双軍からではなく?」
「お恥ずかしい話ですが、我が王都騎士団内からの声です」

 その声は、主に九番隊スコーピオウの下級騎士から上がっているらしい。さすがに隊長格ともなれば信頼が厚いのか、ホーリーでのエルクディアの活躍を称える声が多いそうだ。
 ああそう。ともすれば冷たく聞こえる相槌を打ちながら、ユーリは全身を長椅子に横たえた。
 
「もともとあそこは、エルクがいなくても動けるようにしてあるからねえ。そろそろ気がついてもおかしくないか」
「……陛下」
「無論、あれが無能だとは思わないよ。あの子達はホーリーでもよくやってくれた。けれど、誰もがホーリーでの活躍を見ていたわけじゃない。あの国で起きた問題は、ある意味当たり前のことだ。どこの国で起きたって不思議じゃないよ」

 血の繋がった者同士が、一つの椅子を求めて命を奪い合う。
 そんな話はどこの国にも転がっている。
 平和の代名詞とも言われるホーリーですら、ああなったのだ。ならば、ベスティアは? 巡らした思考に寒気がする。想像すらしたくない。獣の国が牙を剥くそのときに、王都騎士団が団結を欠いていればひとたまりもないだろう。

「お飾りは私も一緒か……」
「え?」
「いや。――そうだオリヴィエ、また一つ、頼まれてくれないかい?」
「なんなりと」
「リヴァース学園へ行ってほしい。もうすでにスコーピオウの何人かは向かわせているけれど、今の話を聞いた限りでは君の隊にも動いてもらった方がよさそうだ」
「御意。しかし、またあの魔導師学園ですか……」

 額に傷を刻んだオリヴィエは、静かに首を傾げた。聞きたいことは山ほどあるだろうに、そこに触れてこない思慮深さに、呆れにも似た感情が生じる。

「昨夜、魔導師二人が城から逃げた」

 驚きに瞠られた瞳は一瞬にして細められ、オリヴィエは兄とは似ても似つかない冷静さで眉間にしわを寄せた。これが兄のフェリクス相手では一から十まで説明する必要があったのだろうが、聡明な弟の彼はおおよその事態を把握したらしい。


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