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「……どきません」

 だが、向こうも向こうで譲れないらしい。
 今にも震えだしそうな声のくせに、ソランジュはまっすぐにラヴァリルを見据えて顎を引いた。胸に診療録(カルテ)を抱いて身構える姿は、追いつめられた子犬のようだ。

「あたし、知ってます。魔導師が使う退魔の銃は、人間には通用しないって。人を傷つけることはできないんですよね。だったら脅したって無駄です。――ここの医官として、患者さんが不用意に出歩くのを見逃すわけにはいきません」
「もっかいお願いするね。ソラちゃん、そこどいて。……撃つよ」

 銃の構えに迷いや隙は一切見られない。本能が警告を発しているのか、ソランジュは明らかに怯んだ様子で一歩後退した。
 早くそこをどいて、道を開ければいい。どこかでじくじくと痛む体を抱えながら、リースはラヴァリルの横顔をぼんやりと見つめていた。きりりとした目元はいつものそれではないと、毎日のように顔を合わせていればすぐに気がついたはずだ。けれど、ほんの数日前に出会ったソランジュがそれに気がつくはずもない。これで戦場に赴くことができるのだろうかと、リースにしては無用ともいえる考えを巡らせたときだった。
 空気が凍る。そして、瞬時に割れた。
 乾いた音が耳朶を叩く。悲鳴さえ呑み込んだ一閃は暗闇を突き抜け、壁を穿った。掠れた声が、ソランジュの唇からぽろりと落ちる。はらりと散っていった柔らかそうな栗毛、それに遅れて白い頬に赤い線が走る。震える指先が頬を拭い、触れた赤に、これ以上はないほど目を見開いた。

「……もう一度言う。どいて。あたし、あなたに怪我させたくないの」

 ラヴァリル・ハーネットは優秀な女だ。――魔導師としての評価を差し引けば。
 銀の弾丸は、魔物を貫くためだけに生まれたはずのものだった。しかしラヴァリルの持つそれは、人の血を呼んだ。ソランジュの瞳が恐怖と驚きで染め上げられ、小さな体が崩れ落ちる。
 脇を通り抜ける際、ラヴァリルは足を止めることはなかった。残されたソランジュがどのような表情をしていたのか、リースは知る由もない。だが、心を打ち砕かれた女の虚ろな瞳だけが、目の奥に焼き付いている。
 ラヴァリルが入手し、頭に叩き込んでいる城内の地図を頼りに、裏道を抜け、見張りの兵士を数人昏倒させて外へ飛び出した。跳ね橋は上がっているが、地下通路を通れば堀を抜けることは容易だ。
 服が汚れ、息が切れ、髪が乱れても、彼女はリースの腕を離そうとはしなかった。城はおろか、城下町と呼ばれる界隈すら完全に抜けて平原へと差し掛かった頃合いで、ようやっと彼女が足を止めた。
 リヴァース学園までは、歩いて一日もあれば十分の距離だ。今のリースの足ではもう少し時間がかかりそうだが、それでも明日中には戻れるだろう。

「リース、あたしね」

 追っ手を警戒しながらも、前をしっかりと見据えたラヴァリルが、整備された街道の砂利を蹴飛ばして薄く笑った。

「リースのためなら、あたし、なんだってできるんだからね」

 ラヴァリル・ハーネットに泣き顔は似合わない。どんなに過酷な訓練でも泣き言一つ零さず切り抜けてきた女は、酷薄な笑みを浮かべたまま引き金を引ける昏さを持っている。だのに、今の彼女は少しでも気を抜けば涙を零しそうなほど瞳を滲ませて、まだ見えぬ学園の方角を睨み付けていた。
 どうしてここまで好かれているのか、これっぽっちも分からない。訓練中、しくじった彼女を気まぐれに助けてやったことが一度だけあった。それからだ。こうして過度な愛情を向けられるようになったのは。
 リースを支える腕はソランジュと同じくらいか細く見えるのに、しっかりと力の込められたそれは、頼るに十分すぎるほどだった。
 ラヴァリルは深く息を吸うと、迷いを断ち切るようにかぶりを振ってリースの腕を抱え直した。そこからはほぼ無言で学園までの道のりを進んだ。追っ手はまだない。おそらく、しばらく来ないだろう。
 今頃、アスラナ王が知略を巡らせているはずだ。彼は知っていた。知った上で、自分達をあの城へと招き入れた。ますますもって、神の後継者と騎士長が哀れに思えてくる。――この場合、より哀れなのは騎士長の方だろう。
 夜が明け始めた頃、遠方より、迎えを知らせる蹄の音が近づいてきた。


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