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「ちゅーもだめ?」
「たまになら」

 喜ぶルチアの一挙手一投足は、子供のそれでしかないはずなのに妖艶さが滲み出ている。鼻先を喉元に擦りつけ、少女は熱い吐息を零した。

「やっぱり、レンツォが一番優しいねぇ」

 振り子時計の針が進む音が、やけに大きく耳に届く。

「――ねえ、レンツォ。一つ質問なのだけれど、どうしてホーテン王子につかなかったの? 途中、本気で迷っていたでしょう?」
「え、そうなの?」
「ええ。私はあくまで、この国の次期王となる者に仕える。陛下にもそう申し上げております。ホーリーの繁栄、発展に繋がる彼の考えは悪くはありませんでした」
「でしたら、なぜシルディ王子に?」

 それは表立って訊ねてくる者がそういないだけで、誰もが常に抱いている疑問なのだろう。
 ホーリーの空は高い。海と交わった空の境がまた違う青に染まっているのに気がつき、レンツォはルチアの頭に顎を乗せて微笑した。

「国を守るのは、神ではないからです」
「え?」
「国を守るのはそこに暮らす民であり、自然です。そして民を守るのは国であり、民自身である。王は国の枠組みを守ることはできても、民を守ることはできない。自然など論外でしょう。先に進むことはいいことです。発展を目指すのも悪いどころか、高評価してしかるべきでしょう」

 脳裏に浮かんだのは、癖の強い金茶の頭だった。

「ですが、私はそんな人間を王とは呼びたくない。一つのことに妄執し、保つべき状態を維持しようともしない。挙句、神に近づこうなどと考える男は、いずれこの国を滅ぼすでしょう。……その点、あの馬鹿は、この国が持つ民と自然だけは全力で守ろうとするでしょうから。ですから、あれは私が守ってやると決めました」

 指弾を食わらせたあの日から、ずっと見てきた。仕えるに値する人柄かを、傍で常に見定めてきた。
 だからきっと、間違いはない。
 あの王子は、神になどなりたがらない。

「ふうん、なるほどね。じゃあ、あたしからも一個聞いていい? ――それじゃ、神は一体、なにを守ってるんだ?」
「さあ……」

 神が守っているもの、それはきっと――……。

「ただの器じゃないですか?」

 途端に、女性陣が「それ、あの人達がいるときに言ってあげたらよかったのに」と噴き出した。


+ + +



 あまりにも透明度の高い海に浮かんだ小舟は、宙に浮いているようにしか見えないのだと、そのとき初めて知った。
 第四桟橋からシルディの大きな船で出発し、シエラ達は白露宮から少し離れた孤島にやってきた。
 小さな島だが観光船がいくつも停泊していたし、白い砂浜を進めば森のような空間が広がっている。木々の間を抜けた、ちょうど島の中央付近には、少し色褪せた色の神殿が待ち構えていた。崩れた瓦礫の間からは極彩色の花が咲き、神殿を覆うように手入れされたのだろう木々の壁が青い空を切り取っている。

 ここはホーリーでも有数の観光地であるテティスの神殿だと、シルディは船を下りる前に説明してくれた。正面からでは観光客が多すぎるため、小舟に乗り換えて島をぐるりと回り、ちょうど神殿の裏の岸壁に乗りつけた。穏やかな島の正面とは違い、ここはぼこぼことした岩場が露出し、叩きつける波が唸りを上げている。ぽっかりと開いた暗闇にすうっと入っていくと、明かりのなくなった恐怖から怯え始めたライナを連れて、シルディはさらに奥へと進んでいってしまった。
 一緒に行くと言っても、彼は聞く耳を持たなかった。
 ふんわりとした笑顔と、けれどもしっかりと意思を持った声で「二人だけで行かせて」と言い置いて、さっさと行ってしまった。ライナは一度たりともシエラと目を合わせてくれなかったし、呼びかけてもくれなかった。
 小舟が流されていかないように洞窟の入り口で見張りながら、シエラは海面に小石を投げ込んだ。ぽちゃん。波間を縫うように、それは沈んでいく。
 肩に乗っていたはずのテュールは、いつのまにか島の散策に出ていったようだった。
 溜息が零れる。小舟に縄を括りつけていたエルクディアが、顔にかかった飛沫を腕で拭いつつこちらを振り向いた。




「シエラ? どうした、疲れたのか?」

 膝を抱えて海面を見つめるシエラは、今にもふらりと倒れてしまいそうな儚さがある。か細い指先が小石を投げる。ぼろぼろのワンピースでも見慣れない軍服でもなく、漆黒の神父服に身を包んだ彼女は、より一層華奢に見えた。
 ライナの状態を見て、気にするなという方が無茶だろう。シエラにとって、ライナは王都で最も近しい友人だった。そんな彼女が自分を見て怯え、泣き、名前すら知らないと首を振る。心痛は想像するまでもない。
 俯く頭に手を乗せかけて、直前で時が止まった。風が髪をさらう。流れる蒼の美しさに、ちりりと指先に痛みが走った。

「……ここは静かだな。表はあんなにも騒がしかったというのに」

 海鳥の声、風の音、波の音。
 洞窟に吹き込む風が時折大きく唸りを上げる。
 ただそれだけの場所だった。



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