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*第21話


 空が青いのはなぜですか。
 海が青いのはなぜですか。

 それはきっと、空が海に憧れて、それで同じ色を作っているのです。
 海に憧れるのは、空なのです。
 触れることができなくて、どれだけ恋しいと叫んでも届かなくて、だからせめてと、空は涙を流すのです。

 わたくしがもしも籠の鳥ならば、どうかそのまま、青海に沈めていただきたく思います。


+ + +



 テラスに集まる小鳥達の鳴き声に、羽ばたきが重なった。
 白露宮の一室から見える空には雲一つなく、晴れ渡った空が海に色を落としている。侍女が運んできた湯気の立つ紅茶をすすっていると、大きな白い丸テーブルに琥珀色の染みがぽつぽつと落ちていた。
 指先でなぞる。まだ熱いそれは、じんわりと体の奥に染み入るようだった。

「……もう、十日を過ぎたか」

 ライナは白露宮の温室で一日を過ごしている。ホーテン・ラティエが喉を貫き、その血を浴びた彼女は――少し、心が壊れてしまったのだろう。目が覚めてもシエラやシルディの名さえ呼ばず、ただただ泣き叫び、あるいは笑い、世界を知らない幼子のようだった。
 そこに、シエラの知るライナはいなかった。
 控えめなノックのあと、一人では広すぎる部屋にシルディとレンツォが入ってきた。二人とも目の下にうっすらとクマを作っているのを見る限り、寝不足の日々が続いているのだろう。なにせ、ホーリーを代表する二人の領主が同時期にいなくなったのだ。引き継ぎ、領土の統括、新しい領主の選任などに日夜走り回っていると聞く。
 クロードの姿は見えない。黒髪の女性、リオンと外で話をしているのだとシルディは言った。

「……ライナは」

「相変わらず、かな。あ、でも、今日はちょっとだけ調子がよかったよ。水リスが遊びに来てたから見せてあげたんだけど、すっごく喜んでくれたんだ」

 心が壊れたライナは、シエラやエルクディアが触れようとすると途端に怯え、泣き叫んだ。恐怖に濡れた瞳を見せつけられ、足が竦んだのをよく覚えている。シルディだけは平気なようで、身の回りの世話はすべて彼が面倒を見ていた。それでも突然暴れだすので、アスラナへの帰国がずるずると伸びている。



 あの日から、ずっと眠れない。
 二人の息子を失ったマルセル王は、悲しみを隠すように職務に没頭していた。一見するとなんてことのない態度を取り続ける姿が、より痛々しかった。
 囚われていたはずのシルディがあの場にいたのは、フェリクスとリオンがタルネットのミクシィーア城から救出したからだと聞いたが、フェリクスがなぜそこにいたのかはうまく誤魔化されたままだった。
 重たく沈む空気に耐えかねたのか、シルディが沈黙を破った。

「シエラちゃん、あのね、その……、そういうつもりじゃなかったんだと思うよ?」
「え?」
「クレメンティアが君達に話してなかったのはね、信用してなかったからとか、そんなんじゃないと思うんだ。なんて言えばいいかな……。……これは僕の想像でしかないけど、あの子は“ライナ”でいたかっただけなんだよね。シエラちゃん達の前ではただのライナでいられるから、“クレメンティア”の話をしたくなかったんだと思う」
「だが、ライナは、ライナだろう……? 名前がなんであろうと、変わらないはずだ」

 シルディの脇に控えていたレンツォが薄く笑い、それを咎めるようにエルクディアが視線を強めた。
 ライナもクレメンティアも、シエラにしてみれば同じだ。あの子の本質は変わらないと思うのに、シルディは小さく首を振る。

「そうだけど、そうじゃないんだよ。クレメンティアはね、僕の――というより、ホーリーに嫁ぐことを生まれながらに決められた存在なんだ。ホーリーの次の王様のお嫁さんにファイエルジンガー家の長女がなるっていうのは、僕らが生まれる前に決まってた。……クレメンティアは、聖職者として教会に預けられる前からずっとそう言われてきたんだ」

 生まれながらに定められた運命。
 思わず動いた指先に、シルディの優しいまなざしが向けられる。

「ちょっとだけ、昔話をしてもいい?」

 立ちっぱなしだったレンツォとフェリクスに椅子を勧め、シルディは紅茶に差し湯をして、昔を懐かしむように目を伏せた。

「小さい頃、クレメンティアはよくホーリーに遊びに来てたんだ。その頃、あの子が一番慕っていたのはホーテン兄様だった。あのときはまだ兄様もテティスにいたし、割と大きくなるまで……ええっと、あれはどれくらいになるのかな」
「九年前だと記憶していますが」
「ああ、そうそう。うん、その頃。……ちょうど、僕らの領地が割り振られる一年前だ。それまで、僕はホーテン兄様が王位を継ぐものだと信じて疑わなかったし、それでいいと思ってた。ベラリオ兄様だったら……うん、少し、怖いなあって思ってたくらいかな。……でもね、あのときから、それは変わったんだよ」

 窓の外を小鳥のつがいがじゃれるように飛んでいく。流れる水の音は絶え間なく、香る紅茶が彼女を思い出させた。


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