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「私は裏切るつもりも、裏切ったつもりもありません、と――」

 事態をいち早く呑み込んだ役人達が、逃げ出そうと四方に散り始めた。シエラさえ突き飛ばそうとする様子に見かねて、クロードが近くをわたわたと走り抜けるふくよかな男の足を引っ掛けて転ばせる。
 シエラの肩の上で、テュールが呆れたように息を吐いた。

「今の、聞きましたよね」

 叫んでいるわけではないのに、その声は喧騒の中でもよく通った。逃げ惑う者達とは対照的に、静かにその場に留まっていた役人達が面を上げる。
 期待に満ちた目を向ける者、訝るような、試すような目を向ける者。様々であったが、彼らは落ち着いた様子で段上のシルディを見上げていた。

「王の殺害未遂及び、第二王子ベラリオ・ラティエ殺害の容疑に関して、お話があります。第一王子ホーテン・ラティエ。――その身柄、預からせていただきます」

 毅然とした態度でシルディが言い放つと、今しがたシエラ達がこじ開けた扉からわらわらと兵士達がなだれ込み、人波を掻き分けてホーテンを取り囲んだ。愕然とするホーテンを前に、ファウストが震えだす。
 なにが起きているのか、シエラにはまったく分からなかった。あそこにいるのは、どこかで囚われていたはずのシルディだ。殺されたマルセル王もいて、裏切り者のはずのレンツォがシルディの隣で笑っている。
 助けを求めるようにクロードを仰ぐと、彼はおどけた仕草で肩を竦め、ひっそりと耳打ちしてきた。

「説明はあとでね。……この国は、どうやら敵に回さない方がよさそうだ」

 混乱を避けるためにシルディが一歩退いたとき、腕の中のライナが身じろいだ。うっすらと目が開いたのがここからでも確認できる。「ライナっ!」呼び声につられるように、ホーテンも彼女へ首を巡らせた。

「ホーテン。私は、どこぞの王と違って王位が欲しければ殺しに来いなどとは言えん。お前の賢しさは誇りであった。……だが、息子といえどこの処遇、決して甘くはないぞ」
「…………ふふっ、あははははっ、あはっ! なぁに、それ。なに、これ。全部、君の手のひらの上だったっていうの、レンツォ」
「考えればすぐに気づけるよう、穴だらけにしておいたはずですが? 我が王子は、兄二人との別離を望んでおられなかった。あなたが途中で気がつけば、強行なさらなかったでしょう。三人仲良く国を支えたい、けれども王位は自分が継ぎたい……だなんて、ただの甘ちゃんの我儘ですが」
「ははっ、なに、なんなの、なんで、そんな……。虫唾が走るッ!! ファウスト!」

 弾かれたようにファウストが体を捻り、槍先をレンツォへ向けた。恐ろしいまでの速さに、シエラはレンツォの首が貫かれる光景を見た。ぎゅっと強く瞼を閉じるが、くぐもった呻き声は聞こえない。代わりに聞こえてきたのは、苛立ちに任せて吐き出された暴言だ。

「貸し一つだな、秘書官さんよ」
「黙りなさい、熊男」

 レンツォの前に躍り出て槍を弾いたフェリクスが得意げに笑う。ファウストが地を蹴り、高く跳躍した。上空から槍の柄が突き出されるが、フェリクスはにっと笑って大きな手のひらでそれを掴み、力任せに引き寄せる。片手で扱うには大きすぎる大剣を、腰から捻って横腹に叩きこんだ。
 刃が肉を裂く直前で少年は体勢を変え、弾き飛ばされるように転がって一撃を回避した。巻き込まれ、なぎ倒された役人達が苦しげに喘ぐ。

「おーおー、随分と速ェのな。でもま、なんだ。――あン頃のエルクよりは遅ェな、ボウズ」

 重さを増した上段斬りがファウストへと繰り出されるように思われたが、フェリクスが剣を頭上に振り上げた状態でその脇をなにかが駆けていった。音もなく空を裂いた銀の刃。空気が震え、一閃に遅れて風切り音が乗る。

「ぐあああああっ」

 肉を貫く生々しい音は、悲鳴によって掻き消された。

「俺がやる。下がってろ、フェリクス」
「……オイオイ、どーしてそうなった? なんでそんな呑まれてんだよ、お前さん」
「うるさい、シエラを見てろ」

 ファウストがどういう状態になっているのか、シエラの位置からではフェリクスの巨体が邪魔をしてよく見えない。けれど、エルクディアの背中から放たれる殺気がただならぬ雰囲気を伝えてくる。
 彼の名前を呼びかけたシエラは、堪えるように唇を噛んでライナのもとへ駆け寄った。虚ろな瞳に光はない。ただぼんやりとあらぬ方を見つめている彼女は、シルディの声さえ届いていないようだった。

「ライナ、ライナ! しっかりしろ、ライナ!」
「大丈夫だよ、大丈夫、きっと。……よかった。シエラちゃん達も、無事だったんだね」

 泣きそうな笑顔が胸に痛い。「シルディ、」どうやってここにと問いかけた瞬間、役人が奇声を発して飛びかかってきた。ライナを庇うように二人に抱きついたシエラの背に、柔らかな感触が触れた。

「ごふっ!」
「下がりなさい、見苦しい。――まったく、油断大敵とはこのことですよ、シルディ王子」
「リオン! ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして。…………あら、それにしても王子、随分おいしい状況ですのね」

 二人を抱き締めたままシエラが振り向くと、真っ先に目に飛び込んできたのは濡れたような黒髪だった。自分とそう変わらない長さの黒髪を頭の高い位置で一つに束ねた女性は、膝近くまで覆う鉄靴を履いている。腹を抱えて転がった役人を見るに、蹴り飛ばしたのだろうか。
 シエラを見てふわりと微笑んだ彼女は、アスラナともホーリーとも違う顔立ちをしていた。


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