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「あ、でも神の後継者を捕まえてたら、いいことありそうだよね。神様ってすごいし。あはっ、みんなを助けてあげられる、神様みたいにならなくちゃ」
「……これは、新政権に期待が持てますね。それでは大神官殿も来られたようですし、戴冠を。略式で構わないんですよね?」
「うん。民に見せつけるのは喪が明けてからでいいでしょ。ぼくはただ、あの冠を貰えるだけでいいんだから」
「御意」

 レンツォが大きく手を打ち鳴らした途端、それまでざわめいていた空間が一瞬にして静寂に変わった。期待と緊張を孕んだ空気が辺りに満ちる。戴冠の間は、白露宮の聖堂だった。どこまでも高い天井、白い壁は蝋燭の炎に照らされて赤茶に染まる。
 大神官が王冠を両手に持ち、そっと階段を上ってくる。ホーテンは片時もクレメンティアを離そうとせず、静かにそのときを待ちわびていた。 
 聖堂に集まった者達の視線が王冠に集中する。持ち上げられたそれを授かるべく、ホーテンは優雅な動作で膝を折り、ややこうべを垂れた。

「…………お前に、これはやれんよ」

 耳に心地よい低音がぽつりと落ち、ホーテンは柔らかく伏せていた目を限界まで見開いた。顔を上げるよりも早く、背中に凄まじい衝撃が走る。

「ぐあっ!」
「ホーテン様!?」「き、貴様ァ! なにをするっ!!」「反逆だ、反逆であるぞぉっ!」

 豪奢な椅子ごと蹴倒され、ホーテンは無様に台座へと突っ込んだ。短剣や聖水瓶が床に落ち、けたたましく悲鳴を上げる。ぎゃんぎゃんと吠え立てる役人達が指さす男は、ホーテンの背を踏みつけたまま腰の剣を抜いて豪快に笑ってみせた。

「がはははっ! 反逆だってよ、おーじサマ! こーゆーンも案外悪かねェなァ」

 ホーテンの腕から放り出されたクレメンティアを咄嗟に受け止めたレンツォは、眉間のしわを深くして“反逆者”を鼻で笑った。
 聖堂内は蜂の巣をつついたかのように混乱状態に陥っていた。壁にぴたりと張り付いていた兵士達が慌てて槍を構えて鎧を鳴らすが、列をなす役人達が邪魔をしてなかなか前に進めない。
 呆然としていたファウストが怒りで頬を染めて槍を手にしたとき、さらなる混乱の種がばら撒かれる。

「――ライナッ!!」

 乱暴に扉を開け、駆け込んできた人物の姿に誰もが息を呑んだ。美しい蒼の髪を持つ少女など、この世にはたった一人しかいない。女神のような美貌を持った彼女は、神の後継者に他ならない。そんな彼女が両脇に青年を従え、無条件にひれ伏しそうになる気迫を持ってそこに立っていた。
 驚き、思考を奪われたのはどうやら役人達だけではなかったらしい。彼女達もまた、同じように瞠目し、台座に上半身を預けて喘ぐホーテンの姿を呆然と見つめていた。
 ファウストの槍を、ホーテンを蹴倒した男の剣が弾く。

「な、なに、これ……、なにッ!? なになになになになになになに!!」
「ホーテンさま、その男から離れて下さい!」
「だれ、ねえ、だれなのぼくを蹴ったのは!! 殺して、ファウスト、早く殺してぇっ!」
「オイオイ、落ち着けよニーサマ。せっかくのべっぴんさんが台無しだぞー?」

 げらげらと笑うその声に、エルクディアが目を剥いた。

「なっ……、おまっ……!?」
「おーう、ボウズ。――ん? ちっとやつれたか? って、なんだァ、その軍服。似合わねーの」

 大剣をぶんっと一振りするだけでファウストを払いのけた男は、余裕たっぷりの笑みで歯を見せた。
 熊のような男の正体を、誰もが知りたがっていた。エルクディアとシエラが彼の名を同時に叫ぶ。

「フェリクス!?」

 返事代わりにひらりと手を振り、フェリクスは台座を蹴って階段から転がり落とす。役人達の悲鳴が幾重にも重なり、逃げようともがく人の波で兵士は動きを大幅に制限されることになった。
 剣戟の音が悲鳴の合間を縫う。隣にいる者の声も聞き取れないような喧騒の中を、大神官の怒声が雷のように駆け抜けた。

「鎮まれぇええええええいっ!!」

 びりびりと響く声は聖堂の天井に反響し、シャンデリアを震わせて徐々に消えていく。ファウストやフェリクスの動きさえも止めてみせたその人は、短く息を吐くと頭を振りもって頭巾と当て布を取り去った。
 零れた癖の強い金茶の髪に、誰もが言葉を失う。

「……へ、へいか」「陛下だ……」「嘘だ、陛下はすでに……!」
「あり得るはずがない、そんな馬鹿なことが……」「いや、しかし!」

 穏やかな王が静かに激高する姿に、役人達の背筋を氷の蟻が這っていく。

「随分と派手な演出ですね。陛下も、お客人も。……それなのに、あなたときたら」
「…………え、ええっと……、僕、最初からここにいたんだけど、な」
「頭に羽根飾りでもつけますか? 地味なんですよ、馬鹿だから」
「え、待って、それ関係ないよね!?」

 クレメンティアの体が布袋のようにひょいっと投げ渡され、近くにいた細身の少年が受け止めた。役人達に混じっていた少年の髪は癖の強い金茶で、瞳は穏やかな夜の色だ。
 ついに、ファウストに庇われていたホーテンが絶叫した。髪を振り乱し、整った顔を醜悪に歪めて、意味をなさない叫びを獣のように上げ続ける。

「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ! だって確かに死体を見た! ルチアがキスして、ぼくの目の前で死んだ! 確かに死んだんだよっ、父様はァッ!」
「――おや? ホーテン様、それはなにか“幻覚でも見る毒”でも飲んだのでは?」
「う、あ、あああああああああっ!! お前、裏切ったね!?」
「くっ、はははっ! いいえ、とんでもない。何度も申し上げたはずです、ホーテン様」

 腹を抱えて笑ったレンツォがクレメンティアを支える少年に近寄り、片腕を取って恭しく手の甲に口づける。



「私は裏切るつもりも、裏切ったつもりもありません、と――」






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