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「これは……」

 汗だくになったルチアに連れてこられた回廊には、苦しみ喘ぐ兵士達の姿があった。誰もが喉や胸を押さえて悶絶している。死んでいる者はいないようだが、焦点の定まっていない瞳や泡を吐くその姿を見て、ファウストはきつくルチアを睨み据えた。

「ちっ、違うよぅ! ルチア、ちゃんとシエラ達だけに効くようにけーさんしたもん! ろーかには煙いかないようにしてたのに、なんでぇ?」

 混乱に乗じて城に侵入してきたシエラ達の姿はすでになく、最深部に向かったことは負傷した兵士の姿を見れば想像がついた。窓は割れていない。ルチアが仕掛けた毒煙は、風もないのに周囲に広がるものではない。その場に留まり、確実に相手を呑み込んでいく。範囲は狭いが、その毒性の高さから、深く吸い込めば一瞬で四肢を麻痺させることも可能なはずだ。
 だからあえて兵士が使う狭い階段の踊り場を選んだというのに、なぜ毒煙が回廊にまで及んだのか。
 ファウストの脳裏に、蒼が揺らめいた。

「……風霊を使ったか」
「うそっ! だって、ここで法術は使えないんでしょ!? だからクレメンティアもただの女の子になってるって、ホーテンさま言ってたじゃない!」
「精霊消失の秘術を施したとは聞いている。……それすら打ち破る神の力か、あるいは」
「あるいは?」

 ファウストがつと目を細め、後続の兵士達に窓を開けるよう指示を飛ばす。新鮮な空気が入り込み、床を這う男達が貪るように深呼吸を繰り返した。

「まこと消失地帯であるのかは、異能者でなければ分からない。魔女がしくじった可能性もあるだろう。ホーテンさまとて、精霊の気配は察知できはしない」
「で、でも、じゃあ、シエラ達はもうホーテンさまのところに行ったってゆーの? ダメだよ、そんなの! まだ式の準備もできてないのに、怒られちゃうぅ」
「式の準備なら終わった。奴らがしらみつぶしで部屋を当たっているなら、まだ間に合うはずだ。ぼくらで片付ける」

 ルチアはきょとんとファウストを見つめ、泣き出しそうな目を丸くさせた。

「……ルチア?」
「にーさま、焦ってる?」
「は?」
「だってにーさまが『ぼく』ってゆーの、久しぶりに聞いた。いっつも我とか、わたし、とか、そうゆうのばっかりだったし……」
「くだらないことを言ってる場合か。ルチア、奴らを水の間に誘導する。あそこならそう容易く出られまい」

 手にした槍はファウストの身の丈を軽く超える。「みずの、ま」ルチアはもつれる舌でそう呟き、汗を拭った。

「うん、分かった。グイードも来てっ! 他はルチアの毒に巻き込まれてもいい人だけついて来て!」

 走り出すが、二人の後に続く足音は一人分しかなかった。化け物と名高いカンパネラ兄妹の背を追う男は、無言のまま難しい表情を保ち続けている。獣のように身軽に階段を飛び降り、床を蹴り、彼らは捕えるべき獲物を追い続けた。


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「ホ、ホーテン様! ホーテン様、お急ぎ下さい! 侵入者がっ」
「……なぁに、うるさい。クレミーアがびっくりしちゃうでしょ。侵入者ってなに」

 気を失ったクレメンティアを抱き締めたまま、ホーテンは冷え切った眼差しで伝令を睨み据えた。傍らのレンツォが事態を把握し、クレメンティアを拘束していた鎖を外す。
 蛇に睨まれた蛙のごとく体を硬直させていた伝令は、震える声で言った。

「さ、先ほどの悲鳴を聞きつけ、竜騎士らがこちらに向かってきております!」
「おや。随分とお早いご到着ですね。ではホーテン様、私は儀式の準備を整えて参ります。そこの小娘の悲鳴を聞きつけたなら、すぐにカンパネラ兄妹が動くでしょう」
「あ、ちょっと待って。水の間で待ってようよ。きっとファウストなら、あそこに誘導すると思うんだよねぇ。せっかく仕入れたんだもの、ぼくも見てみたいなあ」

 お気に入りの人形を抱く子供のような表情で、ホーテンはクレメンティアの頬に口づけて笑った。水の間の仕掛けがなんたるかを知らない伝令が、焦りと困惑の眼差しでレンツォとホーテンを交互に見やる。
 すでに部屋の外は騒然とし始めていた。聞けば、ルチアの毒煙の被害に遭った兵士も数多く、戦闘力が大幅に削がれているという。

「お遊びもほどほどになさい。私は先に大臣共を集めておきますから、殺されないうちに戻って来て下さいね」
「はぁい。ふふっ、レンツォってほんっとうに変人だよねぇ」 

 奇人変人、理解不能の若い秘書官。そう呼ばれることに慣れ切っていたレンツォは、部屋を出る直前で足を止めた。今しがた自分のことを変人だと言った男の腕の中を確認し、小さく笑みを零す。

「あなたには敵いません、ホーテン様」



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