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「騎士長さん、あんまり熱くならない方がいいよ。ちょっと冷静になろうか。あれ全部こっち来ちゃったら、さすがの騎士長さんでも対処できないでしょ」

 落ち着いた口ぶりで言っていても、内心の焦りが滲み出ている。エルクディアは答えなかった。今にも剣を抜かんばかりの殺気でルチアを追いつめる姿は、騎士というよりも獣だ。
 甲冑の鳴る音が近づいてくる。

「……大丈夫、いざとなったらお嬢さんは逃がしてあげられるから。それより、騎士長さんの方が心配だね。彼、感情に囚われすぎてる」

 クロードが言い終わるのとほぼ同時に、エルクディアが小さく息を呑んでルチアを突き飛ばした。壁に背中を強打して呻く少女を前に、エルクディアが痛みをこらえるように手を押さえている。

「いたたっ……、もぉ、らんぼーはよくないよ? そんなひどい人にはお仕置きなんだからねっ! 早くなんとかした方がいいよぉ? でないとぉエルクの手、腐っちゃうかも〜」 
「なっ! お前っ、エルクになにをした!?」
「ちょっとがぶってしただけだよぉ? でもでもぉ、ルチアのちゅーはちょっとキケンかも〜」
「毒牙にかけるって、こういうことなのかなっ」
「うわっ! もぉおお! そんな意地悪ばっかりするなら、にーさま呼んじゃうからねっ!」

 舞うように飛び出したクロードのレイピアがルチアの髪を捉えた。首筋を狙って突き出されたそれをぎりぎりでかわし、少女は怯えと愉悦を同時に滲ませて階段を駆け下りていく。
 シエラがエルクディアの手を取ると、彼の手のひらが徐々に青黒く変色していくのが分かった。あの少女は口腔内に毒を含ませていたのだろうか。僅かな傷口からでも十二分に痛みを与える毒を、どうやって口の中に入れていたのだろう。そんなことをすれば、真っ先に彼女が死に至りそうなものなのに。

「大丈夫、少し痺れてるだけだから。それより、クロード神父が引き付けてくれてる間に行こう。今の状態で兄貴の方と戦うのはきつい」




 毒使いの少女。
 階段を駆け下りながら、クロードは上の様子に気を配っていた。あの騒ぎでは、気づいた兵士達が間もなくやってくるだろう。あれだけの人数を、万全でないエルクディアが捌ききれるかは怪しい。ある程度この少女を引き離したところで戻ろうと心に決めていたが、跳ねるように逃げる少女がふいに足を止めた。階数で言えば二階分ほど降りた程度だ。
 くるり。手足を惜しげもなく晒し、ルチアは大人びた溜息を吐いた。

「あの二人、置いてきちゃってよかったのぉ〜?」
「あんな状態でも、一応は我が国自慢の騎士長さんだからね。死んでも神の後継者は守ってくれるんじゃないかな」
「ふうん……、『死んでも』、ね。ねぇ、どぉしてヒトは、自分が死ねば誰かを守れるって思うの?」
「……おやおやまあまあ。まるで自分が人間じゃないみたいな言い方だね」

 ぴたりとレイピアの先をルチアに合わせ、じわじわと間合いを詰める。一瞬で仕留められる緊張状態を保ち、クロードはおどけたように肩を竦めた。

「だってルチアはバケモノだから」

 あっけらかんとした物言いの中に、砂粒ほどの悲哀が見えた。
 大きな瞳には、その年の子供にはあまり見られない感情が透けて見える。この子供は、孤独を知っているのか。誰もいない、誰にもなれないその場所を、味わったことがあるのか。
 自らを化け物と呼ぶ少女は、首の後ろを伝う汗を指で拭い、小さな雫をクロードに見せつけた。

「トクベツに教えてあげる。ルチアはね、毒なの。生まれたときから、全部、ぜぇんぶ。これも毒なんだよぉ?」
「汗も? それはそれは。それじゃあ、君の周りにいる人は大変だね?」
「でもルチア、ちゃーんと自分で管理できるから大丈夫。ちゅうするときだって、フツーのもできるし。エルクのときはちょっとだけアレしちゃったけど、でも、シエラとのちゅうはなんにもしなかったしぃ。あっ、でもねぇ、マルセルさまのときはとっておきの苦いのを――」
「それでそれで? わざわざそんなことを教えてくれるだなんて、よっぽど時間を稼ぎたいのかな?」
「……せーかくわっるぅい」
「それはどうも」

 言うなり胸元から小瓶を取り出して床に叩きつけたルチアに、クロードは背を向けて全速力で来た道を駆け戻った。薄紫の煙幕が広がる。毒だ。できるだけ呼吸を浅くしても僅かに吸い込んでしまったのか、頭の奥がくらりと歪んだ。
 毒の煙が広がる中、汗だくになったルチアがその場に座り込む。煙の向こうで、羽音のようなものが聞こえた。


「……ねぇ、ホーテンさまぁ。バケモノって、なぁに?」




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