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「マルセル王が……そんな、まさか」
「ご遺体を検めた医師が言うんだ、間違いない。ホーテン様の指示に従うようにと、大臣様も仰っている」
悲しみと憎悪が渦巻く中を気配を消して進むことが苦しく、テュールに縋るように頬を寄せた。一呼吸置いて目を閉じる。意識を集中させ、ライナの神気を探った。ほんの一瞬でいい。一瞬でも彼女の持つ神気が解放されれば気がつける。助けに行ける。テュールも必死になってにおいを嗅いでいるようだった。
しばらくすると台車がぴたりと動きを止めて、静かに蓋が開けられた。見慣れない兵士の服装をしたエルクディアに手を差し伸べられて外に出ると、両端に何人もの兵士が配置された長い回廊がずっと奥まで続いているのが分かる。ここから先は厳重な警備がなされている――つまり、直接王やそれに近しい者の部屋が近いのだろう。
シエラは用意されていた藍色の外套を頭からすっぽりと被り、髪を隠した。テュールが僅かに反応する。ライナは確かにここにいるのだ。
マルセル王の訃報は俄かには信じがたいものだった。今でも半信半疑だ。けれど、点と点を繋げていけば一本の線になる。すべての罪をシルディになすりつけ、ホーテン・ラティエが玉座に座すべく仕組まれたことなのだとしたら――、マルセル王は真実、もうこの世にいないのだろう。
「他の警備が手薄なのに、ここから厳戒態勢ってことは……まあ、間違いないか。これだけの数だ、怪しまれたら強行突破するか逃げるしかないけれど、それでも進むつもりかな?」
もちろんそのつもりだと、シエラは頷いた。
天井は高く、回廊の端には等間隔で白い柱が並んでいる。柱には波を思わせる流線型の細工がなされ、壁には肖像画が飾られていた。天井には彩色された石で海にたゆたう人魚の絵が描かれている。それがずっと奥まで続いていた。
大きな窓から夕陽が差し込み、白が橙に染まる。それが兵士達の甲冑に反射し、どこか幻想的な風景を作り上げていた。
「あの甲冑……、ヴォーツのものだな。アマート将軍の部隊の人間か。それに、ロルケイトのバルトリ将軍の息子もいる」
「やっぱり、ヴォーツ兵団の強者はこっちに引き入れられてるかあ。さすが、そういうところは騎士長さんの方が詳しいね」
甲冑のどこを見たのか分からないが、エルクディアには部隊を判別できるなにかがあったらしい。第一王子ホーテン・ラティエは、シルディの治めるテティスのロルケイト兵団、ベラリオの治めるツウィのヴォーツ兵団の両兵団をも懐柔できるだけの人物だというのだろうか。
噂を流す誰もがホーテンの即位を疑わず、不満を唱える様子も見られなかった。彼ならばと、絶対の信頼を置いているように感じられた。
そんな人物が家族を殺してまで玉座を狙う理由とは、なんなのだろう。
「あ、ねーえ! にーさま見なかった? 準備できたかーってホーテンさまが聞いて……――って、あっれぇ?」
回廊の隅、死角となる場所で気配を殺していたシエラ達の背に、階下から声がかけられる。甘ったるい、子供の声だ。無邪気な明るい声には聞き覚えがある。
シエラは反射的にテュールを胸元に隠した。
「……みぃーつけた」
一回り低くなった声は妖艶な色を帯びており、細い手首に付けている腕輪がしゃらりと鳴った。
発達途上の幼い体は、それでもしっかりと丸みがあってしなやかだ。身に纏った踊り子のような衣装がさらに彼女の魅力を引き立てている。だがそれは、見惚れていられるような愛らしいものではなかった。
「こんなところにいてもいいのぉ〜? エルク達ってば、お城に火をつけてベラリオさまを殺したわるーい人達なんだよねぇ? どーやってここに来たのぉ?」
けらけらと笑いながら、ルチアが首に下げていた小瓶の液体を飲んだ。
「違う! それはお前達がやったことだろう!」
「ええ〜? でもぉ、それでいーの。エルクとシルディが悪者で、シエラがホーリーの神様になるんだもん。ね、シエラ、シエラも嬉しいよねぇ? だって、ポポ水軍使ったらツウィから王都まで一日で行けちゃうんだよ? アスラナよりもぉ、ずうっと便利なんだから」
「ふざけるな! 私はっ」
「相手にするな、シエラ。――騒がれても面倒だ、殺る」
「あっはは! エルクったら、そんなによかったぁ? ルチアもね、エルクだったらもっとヤってもいいよぉ。そっちのおにーさんも一緒にヤる? ――ひゃ、きゃああっ」
エルクディアが一足飛びで階段を飛び降り、悲鳴を封じるようにルチアの口元を鷲掴むように覆った。少女の瞳が恐怖に染まる。一瞬で掻き消された悲鳴だったが、それでも優秀な者ばかりが集められた警備兵は異変に気がついたらしい。ざわついた空気が肌に刺さり、クロードが焦ったようにシエラの手を引いて壁際に張り付いた。
エルクディアの背中が――、背中から感じるその雰囲気が、いつもとは違う。
顔は見えない。彼はなにも言わない。その代わりに、恐怖する少女の呻き声が耳につく。「……エルク?」不安がそのまま声に出た。レイピアを抜き放ち、臨戦態勢を取ったクロードが気遣うような視線を向けてきたが、なにも言うことはなかった。