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 しばらく黙ってレンツォに体重を預けていた男は、興味をなくしたように離れていった。先ほどレンツォが出てきたばかりの扉を迷わず開けて、分厚い絨毯に足裏を沈ませていく。
 空気が異様な熱を帯びた。鎖の音が大きく響く。すすり泣いていたか細い声が、震える悲鳴に変わった。
 あとに続くと、大きな寝台の上で、クレメンティアは凍りついた目で男を見上げていた。これ以上はないほどに瞠られた瞳が痛々しい。寒さに震えるよりも激しく体を震わせ、恐怖しか映さない瞳に涙が浮かぶ。

「ああ……、やっと会えた。うん、やっぱりかわいいよ。よく似合ってる。誰よりも綺麗なぼくのお嫁さん……」
「いや、来ないで、いや、いやぁっ」
「ねえ、どうしたの、その首。可哀想に……、ねえレンツォ、これって君がしたのかな」
「それがなにか」
「――次は殺すよ」

 金茶の波打つ髪に隠されて、その横顔はよく見えない。それでもその言葉が冗談ではないと、肌に突き刺さる殺気が教えてくる。
 彼は寝台に乗り上げ、必死に逃げようとするクレメンティアを力いっぱい抱き締めた。

「もう君はぼくのものだよ。レンツォのおかげで、ぼくがこの国の王になったんだ。レンツォは本当に優秀なんだよ。この国のためならなんでもするんだ。王様だって殺してくれる」
「私が手を下したわけではありませんが」
「ははっ、でも、計画したのは君でしょう? ――ね、だから、もうすぐぼくらは結婚できるんだよ。白もいいけれど、君には赤がとっても似合うから、真っ赤なドレスにしようね。ああそうだ、結婚式の前に処刑の日も決めておかなくっちゃ。折角だから、かわいい弟にも協力してもらおうか。一緒の日にすれば、きっと綺麗にドレスも染まるよ。あの日みたいに」
「い、や……っ、やめ、離して、離してっ!」
「どうして? 言ってくれたじゃない、ぼくのこと大好きだって。約束したじゃない。ホーリーの次の王様と結婚するって。だからぼく、かわいい弟達を殺してまで頑張ったんだよ? ……あ、そうか。照れているんだね。かわいいなあ」

 助けを求める痛切な悲鳴と、のんびりとした声、重たく響く鎖の音が重なって、不協和音を奏でている。懸命に身を捩って逃げようとするクレメンティアは、蜘蛛の巣にかかった蝶の姿を連想させた。

「本当に、かわいいなあ……」

 己の指に歯を立てて肉を破った男は、滲んだ血をクレメンティアの頬に擦りつけて恍惚の笑みを浮かべた。
 彼女の目には、思い出したくない過去の惨劇が映っているのだろう。あの日の光景は、その場に偶然居合わせたレンツォの記憶にも鮮明に刻みつけられている。
 あまりにも凄惨な光景だった。噴き上がる鮮血が、幼い少女を染めていた。血飛沫の向こうで笑う青年の姿は、今ここにあるものとなんら変わらない。

「……ほら、やっぱり。赤がとってもよく似合う」

 あの日、ごとりと落ちた女の首が、銀髪の少女を驚愕の眼差しで見つめていた。つい今しがたまで言葉を交わしていた相手が、変わり果てた姿でそこにいたのだ。少女の心痛は想像を絶するものだったろう。
 男は、あのときと変わらぬ顔と声で笑ってみせた。強く彼女を掻き抱き、血のにおいを漂わせ、甘く囁く。

「――愛してるよ、ぼくのクレミーア」

 苦虫を噛み潰したレンツォの視線の先で、クレメンティアが耳をつんざく悲鳴を上げた。


+ + +



 第三王子の陰謀により、アスラナの騎士長の手で第二王子が殺害された。
 エルクディア・フェイルスはヴォーツ城に放火し、神の後継者を人質に取ってツウィから逃走、未だ第三王子の行方も知れない。
 街中に溢れている噂に、また一つ、衝撃的な話が舞い込んできた。
 昨夜、この国の王であるマルセル・ラティエが何者かによって毒殺された――と。



 ツウィから王都テティスまでは運河を渡り、途中から陸路に切り替えて丸二日かかった。クロードの手引きで船や荷馬車にひっそりと乗り込み、見つかることなくこの地までやってきた。隣を駆けていくポポ水軍を利用すれば一日余り短縮できただろうが、ツウィの町にはすでにエルクディアの手配がなされており、とてもじゃないが利用できる状態ではなかった。
 噂は人を渡る。そのことを証明するかのように、混乱する王都ではあちこちで情報が飛び交っていた。難攻不落と言われる王宮に侵入できたのも、その混乱に乗じたおかげだ。
 度重なる王族の訃報に、ホーリーは大きく揺らいでいる。
 城下では「誰に殺されたのか」という疑問止まりだった噂も、ひとたび中央に足を踏み入れれば、それは「第三王子によるもの」だという確信に変わっていた。
 現在逃亡中の第三王子をなんとしてでも見つけ出し、国王殺しの罪で処刑すると息巻く老人の脇をすり抜け、シエラは強く拳を握った。なにが逃亡中だ。この国の人間がシルディを捕まえたくせに。

 ガラガラという車輪の音と振動が耳にうるさい。それなのに、余計なことだけははっきりと聞こえてくる。ちょうど膝を抱えた状態ですっぽり収まる箱の中に、シエラはいた。台車を押すのはクロードとエルクディアだ。二人は武器庫に向かう兵士を手慣れた様子で昏倒させ、身ぐるみを剥いで服や台車を奪って城内に侵入した。兵士が大きな箱を運んでいても、中身は武器かなにかだと思われ、疑われる可能性は低い。
 途中で布の音がしたから、誤魔化すために敷布かなにかを被せたのだろう。



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