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 救ってください。
 この美しい鳥籠の中から、私を解放してください。
 たとえ扉の外が茨にまみれていようとも、どれほど翼が傷つこうとも、私はここから出たいのです。


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「……耳障りな」

 扉の向こうからすすり泣く声が聞こえる。
 温かな首は細く、手のひらに収まってしまうほど頼りなかった。自分よりも遥かに年下の少女が苦しげに喘ぐ様が、眼球の裏側に焼き付いている。
 己の手を見ていると、ふいに昔のことを思い出した。場所はここ王都テティスの白露宮で、マルセル王が今よりも随分と細身だった頃だ。十六年前の悪夢でぼろぼろになった国をどうにか回復させようとして、毎日が多忙を極めていた。
 若くして中央で勤めていたレンツォは、周囲からは浮いていたのだろう。妬み嫉みもあった。才覚を発揮し、王からの寵愛を受けるたびにくだらない罵詈雑言を浴びた。あの頃は今よりも血の気が多く、いらないケンカを買ってさらに恨みを買うことも多々あった。
 第一王子、第二王子との顔合わせの機会だって、その捻くれた性格が災いして色々と問題を起こしたものだ。今でも肩に残る傷跡は、調子に乗りすぎたがゆえに第二王子の機嫌を損ね、そのときに斬りつけられてできたものだった。
 だから正直に言うと、あのときのレンツォは王族というものが嫌いだった。王子なんて血に驕った愚かな人間で、なんの価値もないのだと思っていた。三番目の王子が生まれたと聞いたときも、どうせ王になることなどないのだから捨て置けばいいのにと思ったほどだ。
 そんな第三王子と出会ったのは、王の私室へ書類を持って行ったときだった。穏やかだが政には厳しい姿勢を見せるマルセル王が、だらしなく緩めた顔でそこにいた。ふにゃふにゃとして頼りない生き物を膝に抱き、父親の表情でそれを見ていた。

『ああ、レンツォか。見ろ、これがシルディだ。大きくなったろう』

 赤子の折に何度か見かけたことはあるが、そうか、これが第三王子か。くるくる頭がよく似ている。今のレンツォであれば、一応形だけでも臣下の礼を取ったことだろう。しかしあのときは、なんの役にも立ちそうにない小さな子供に頭を下げる気など、さらさらなかった。この切羽詰まった国政の中、この生き物はなに不自由なく暮らし、ぷよぷよと柔らかそうな頬を持っているのだ。城下では、飢えて死んでいく者がまだ大勢いるというのに。
 そんなレンツォを王は咎めることもなく、王子を抱いたまま書類を受け取った。シルディの大きな目がレンツォを見上げて、屈託のない笑みを浮かべて王の膝から降りると、その笑顔のまま、レンツォに向かってホーリー式の最敬礼をしてみせた。
 王が笑う。面食らったレンツォに追い打ちをかけるように、なに不自由なく過ごしている、役に立たない王族の子供が特有の高い声を響かせる。

『ホーリーが第三おおじ、シルディ・ラティエ。きでんらのおちからぞえ、心よりかんしゃもーし上げます。これからも、われらがホーリーのため、ともにじん――じん、りょく?――してくださいますよう、おねがいもーし上げます』

 ――ずるい。
 誇らしげな顔を上げたシルディは、褒めてと言わんばかりにマルセル王に頭を差し出している。大きな手で撫でられると満足そうに笑うその顔が憎たらしい。怒りにも似た感情を覚えて、レンツォは王を睨みつけた。これはあまりではないか。心にもないことをこんな子供に言わせて人心を引き付けようなどとして――それが王族としてあるべき姿なのだろうが――、恥ずかしくはないのかと、そんな意味を含めて王を見た。
 だが、王は笑うだけだ。「王子らしい言葉に直してくれと頼まれただけで、言わせたわけではないよ」愛おしそうに頭を撫でるその目を見ていられず、若いレンツォは顔を背けたのを覚えている。「まあ、完璧には程遠いけれどね」
 気がつけば、膝を折っていた。視線の高さが合わさる。澄んだ瞳を真正面から見つめ、その狭い額をぴんっと指で弾いた。「ぷえっ」と妙な悲鳴を上げた小さな王子の頬をゆるく引っ張る。ほどよく肉のついた頬は、思った通り柔らかくて面白いほどによく伸びた。

「……このレンツォ・ウィズ。我らがホーリーのために最後まで心血を注ぐこと、お約束いたしましょう」

 たとえそれが、彼の望まぬ形になろうとも。
 彼が国のためと願うのなら、その願いが自分のそれと一致する限り、持てるすべての力を使って走り続ける。願うのはこの国の、変わらぬ――けれど、穏やかな未来だ。
 発展と、繁栄と、維持と。ただそれだけを、切に願って日々を生きている。



 レンツォの意識を引き戻したのは、貴金属が触れ合う音も混ぜた衣擦れだった。甘い香りが立ち込める。新しい香油でも塗り込んだのか、流れる髪はつやつやと輝いていた。傍までやってきた細身の男は、クレメンティアのいる部屋の扉をうっとりと見つめて溜息を吐く。大ぶりの指輪の輝きが目に刺さった。

「よくやってくれたね、レンツォ。本当に、よくやってくれたよ」

 それはわざわざ船を出してここまで来たことを言っているのか、それともあの少女を繋ぎ止めていることを言っているのか、どちらだろうか。
 「早かったですね」と言えば、彼は穏やかな微笑のまま髪を弄った。「早船を出したんだ。そうすれば一日足らずで着いたよ。最近の船は優秀だよねえ」そのまま甘えるようにレンツォに背中から抱き着き、彼は手入れの行き届いた唇を耳に近づけてくる。

「弟が心配? 仲良かったもんね、情が湧いたんじゃない?」
「そうかもしれませんね。三人の王子の中で、最も愛すべき馬鹿はあの方ですから」
「そんなに大好きなのに、裏切っちゃうなんてひどい男。シルディが聞いたら泣いちゃうよ?」
「はっ……、ありえません。あの馬鹿は怒ることはあっても泣きはしませんよ。――なにより、私は裏切るつもりも、裏切ったつもりもありません」



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