14 [ 326/682 ]

「……すべてが自分の責任だと思い込んで、一人で悲劇のお姫様を演じて、大層なご身分ですね。羨ましい限りです。アスラナの騎士長に同情しますよ。一国の王子を殺してまで、あなたを助けようとしているんですから」
「エルクが!? 馬鹿な、そんなはず……!」
「今、王都ではその話で持ち切りです。第三王子に飼われたアスラナの騎士長が第二王子を殺害し、ヴォーツ城に放火。現在神の後継者を人質に逃走中――とね。アスラナとホーリーの関係を大きく揺らがす問題です。……ああ、真実などどうでもいいんですよ。事実が一つ二つ、そこに転がっていればそれでいい」
「貴方が仕組んだんですか……? 貴方が、ベラリオ殿下を殺したんですか!」

 叫んだ瞬間、レンツォの双眸がすっと細められた。鎖が鳴る。空気が凍った。

「私はただ、教えて差し上げただけです。ツウィは危険だ、と。だのに彼らは自らツウィに足を運んだ。邪魔な第二王子を殺すつもりがあったと考えても、別におかしくはないでしょう」
「そんな無茶なっ」
「そんな無茶が罷り通るのですよ、この世は。冷静に見れば穴だらけの事実でも、人間は点と点が近ければ勝手に結び付けて脳内で都合のいいように補完する生き物です。あなただって分かりやすい結末の方がお好きでしょう? 幸い、たくさんの点が転がっていますからね。結びつけるのは容易いと思いますよ」

 それが真実とは違っていたとしても、一つ一つの事実が歴史を変えていく。

「お可哀想に。どうして教えて差し上げなかったんです?」
「……やめてください」
「最初から言っておけば、彼らはツウィになど向かわず、知略を巡らせてこの王都へ辿り着いたでしょうに」
「やめてくださいっ!」
「ホーリーの次期王妃となることは、それほど秘するべきことでしょうか?」

 「やめて」と咽びながらレンツォの胸元を掴んだ。涙が頬を伝う。零れた水がドレスを濡らし、文官服から香った潮のにおいが、彼が海を渡ってきたことを教えた。
 両手足に絡む鎖は、クレメンティアを縛する枷そのものだ。最初から逃げられなかった。逃げようとすることが愚かだった。
 力の抜けた体で、それでも目の前の胸に縋らずにいられたのは、欠片ほどに残った矜持のおかげだった。こんな男に縋るものか。そう思うのに涙が止まらない。

「ホーリーとの婚姻を誓った身を恥じるというのであれば、さっさと世を儚んでしまえばよろしいのに。ファイエルジンガー家の二の姫様の方が、銀蠅もどきよりもよほど王子にふさわしいでしょう。あの馬鹿王子にそそのかされて、淡い夢ばかり抱いて……、本当に、愚かなお姫様ですね」

 俯いて首を振る。胸に叩きつけた拳は、重たい鉄の鎖に負けてすぐに落ちた。溢れる涙が止まらない。次から次へと、言葉の代わりに熱い雫が眦から零れ、震えた唇からは情けない嗚咽ばかりが漏れていく。
 容赦のない言葉が心を抉る。詰られ、蔑まれても、なに一つ言い返せない自分が情けない。

 約束した。約束したのに。
 どうして、あの優しい手はここにないのだろう。

 ――大丈夫だよ、クレメンティア。僕が君を守ってあげるから。
 だから、約束だよ。

 優しい声がここにない。朗らかな笑顔が見えない。
 与えられるのは冷たく重い鎖の感触と、冷え切った男の嘲笑だけだ。「あなたはいつもそうだ」レンツォの手のひらがライナの肩を押した。男の力に耐え切れず、後ろ向きに倒された体の上に彼が乗り上げてくる。至近距離で見下ろされ、顔の横に腕をつかれた。
 薔薇色の髪が降ってくる。泣き濡れるライナの頬を指で拭い、レンツォは冷たく吐き捨てた。

「私は昔からあなたが好きではないのですよ。国と国の結びつきのため、たまたまあなたが選ばれた。確かに、エルガートでも一、二位を争う大公爵様のご息女は、我がホーリーの次期王妃として申し分ないお立場でしょう。そのお姿も、王子の婚約者として誇れるものです」
「はなして、――っ」
「……ですが、あなたは我がホーリーに相応しくない。逃げ道ばかり探しているくせに無駄に矜持が高くて、清らかであろうとするその姿勢が……、私は死ぬほど嫌いです」

 レンツォは静かに笑った。

「ライナ・メイデンに価値など露ほどもない。価値があるのはファイエルジンガー家のお嬢様だ。聖職者だなんだと浮ついたことを口にできぬよう、この喉、潰してしまいましょうか」
「ぅ、あっ……や、あ、はっ……!」

 硬い手のひらに触れられたと思えば、ぐっと力を込めて首を絞められた。身じろぎ、もがき、全力で腕を引き剥がそうとしているのに、その手はびくともしない。鎖が鳴き、敷布が乱れ、濁った悲鳴が細切れになって空気を震わせる。
 苦しい。酸素を求めて大きく開いた口を嘲笑い、目の前の男の唇が歪む。目の前が白く染まり始め、ふつりと意識が途切れそうになる直前で、ようやっと手が離された。
 貪るように呼吸するライナを冷たく見下ろし、レンツォはなにも言わずに部屋を去っていった。
 涙腺が壊れたのかと思うほどに、涙は流れ続けた。もう拭う気力もない。ただただ豪奢な寝台に横たわり、声を殺して泣いた。
 素直に助けてと口にしていたら、こんなことにはなっていなかったのだろうか。
 ホーリーの王位継承者の婚約者という立場がもたらす災いから守ってくれと言っていたら、彼らは助けてくれただろうか。


 ――ライナでありたかった。
 すべては、ただのライナ・メイデンでいたかっただけなのに。



[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -