13 [ 325/682 ]

 袖はなく、腕には肘までの白い長手袋、ふんだんにレースがあしらわれた純白のドレス。細かな意匠が凝らされたそれはとても柔らかく、指に少しでもささくれがあれば生地を傷つけてしまいそうな繊細さがある。首回りには、小さいが上質の宝石釦が縫い付けられていて、これではまるで――。

「そうしていると、立派な花嫁姿ですね。……ようやっとお目覚めですか、クレメンティア様」
「っ、あ、貴方、なぜここに……?」
「囚われのお姫様を助けに参りました――とでも言えば、涙ながらにキスの一つでもいただけますか?」

 くすりともせずに言ってのけた男は、いつからそこにいたのだろう。扉のすぐ脇で壁にもたれていた彼は、毛足の長い絨毯で足音を消して近づいてくる。ホーリーの役人で知らぬ者はいないと言われるほどの秘書官レンツォ・ウィズは、大きな寝台の端に腰を下ろした。
 後ずさろうとしたライナの動きを、武骨な鎖が邪魔をする。

 なぜ彼がここにいるのだろう。そもそも、ここはどこなのだろう。
 冷静になろうとすればするほど心臓は早鐘を打ち、頭は回転を鈍らせる。考えたくないこと、向き合いたくないことが思考に蓋をする。音もなく頬に触れてきた手に、ライナは大げさなまでに肩を揺らして顔を上げた。

「おはようございます。どこか痛むところは?」

 全身が痛い。頭も、胸も、捕えられた四肢も。
 けれどライナは首を振って問いかけを否定し、己を抱き締めるように胸の前で腕を交差させた。俯けば、膝を覆い隠す白が目に刺さる。

「お怪我はないようですね。荒旅でしたでしょうに、よくぞご無事で。ご苦労様でした」
「あの、ここは……?」

 自分で考えずに安易に答えだけをもらおうとした姿勢を、レンツォは鼻で笑った。

「王都テティス、白露宮の一室です。クレメンティア様ともあれば、聞かずともお分かりでしょうに。それとも、違う答えを期待していましたか?」

 レンツォの言葉はなによりも鋭く胸に突き刺さった。その通りだ。不愛想なその顔に柔らかな笑みを浮かべて、「ここはロルケイト城ですよ」と囁かれるのを願っていた。そんな都合のいい話があるわけがないと思いつつも、そうであってほしいとひたすらに願っていたのだ。
 あの港で拉致されたときから気がついていた。船の中でシルディと引き離され、薬を嗅がされて眠らされたそのときに、目が覚めたときにいる場所はここだという確信があった。

「でも、なぜ貴方がここにいるんですか。貴方はディルートの……、シルディの秘書官でしょう! それがなぜ、白露宮の、それも、わたしのもとにいるんですか」
「ご自身で考えてはいかがですか? せっかく頭は無事なんですから、使わないともったいないですよ」
「ふざけないでください! 貴方っ、貴方は、シルディの味方でしょうっ? 彼を裏切ったんですか!?」

 言葉に熱が籠もる。身じろぐたびにじゃらじゃらと鳴る鎖の音が耳障りだ。

「裏切った? クレメンティア様、ご冗談を。私の忠誠はいつもこの国にあります。裏切るだなんてとんでもない。私はこの国の文官です。長男だろうが三男だろうが、この国を継ぐ権利を有する者の下で働くことには変わりがない。……まあ、十手先も読めないような出来損ないに仕えようとは思いませんが」

 クレメンティア様と呼ばれるたびに、叫びだしたくなった。「わたしはライナです」そう言っても、レンツォはきっと鼻で笑って「クレメンティア様」と呼びかけるに違いない。彼にとって、ライナ・メイデンという神官に価値はないのだ。クレメンティア・ライナ・ファイエルジンガーという少女だからこそ、彼は声をかけ、形だけでも頭(こうべ)を垂れる。
 二つの名を持つことの意味を、本質的なところで自分は理解していなかった。エルガートの公爵令嬢という肩書でちやほやされたくない、実力を見てほしい。ずっとそう思っていたし、正体を知る人物にはそう説明していた。
 けれど最初はそうではなかった。逃げるように名前を変えた。逃げるように国を出た。
 クレメンティアに与えられた責務やしがらみから目を背け、見ないふりをするためだった。

「あなたもですが、あなたのお仲間も相当お馬鹿さんですね。『ライナを助ける』と息巻いてロルケイト城から大脱走なさいましたよ。あの様子だとなにも知らないようですが……、大切なお友達に、なにも告げておられなかったんですか?」

 大切なお友達。その言葉をわざとらしく強調して言ったレンツォは、グラスに注いだ水を差し出して笑った。
 シエラ達は今どうしているのだろう。シルディは無事だろうか。――無事のはずだ。彼をすぐに殺すはずがない。
 確かに自分はなにも言わなかった。なにも告げてこなかった。ユーリにも、エルクディアにも、シエラにも。誰にも言わなかったことが、たくさんある。
 言えばどうにかなる問題でもなかったし、なにより、言う必要がないと思っていた。自分のことを話すのは苦手だ。愚痴も弱音も、誰かに相談するのも苦手だった。信用していないわけではない。ただ、心の弱く脆い部分を晒すのが怖かった。
 そのせいで巻き込んでしまったのだろうか。なにも言わなかったせいで、彼らをも傷つけてしまうのだろうか。最初からクレメンティアでいれば、きっと彼らを巻き込むことはなかっただろうに。



[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -