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 羽織っていた長い外套を脱ぎ捨て、ルチアは惜しげもなく裸体を晒して部屋の隅にある寝台へと駆け寄った。収納棚に仕舞っていた戦闘服を身に纏う。戦闘服と言ってもほぼ下着姿同然のそれに、見慣れているとはいえ、兵士は視線をつと逸らした。
 小さな胸と腰を守る布は光るビーズが縫い付けられた頼りない下着で、腰回りにはひらひらと透け感のある布がスカート代わりに巻きついている。上着もほぼ同様で、肌が露わにされたその衣装は踊り子のようであった。太腿に巻きつけた革のベルトに小瓶をいくつか収め、ルチアは煮出したばかりの汁と先ほどすり潰した根の汁を合わせて、数滴舌に乗せた。
 一瞬だけ刻まれた眉間のしわが年に合わず蠱惑的で、こんな状況だというのに兵士は思わず息を呑む。

「あ……、ファウスト様は、ご出立の準備をなさっておいでです。先ほど船の手配をなさっておられましたっ」
「じゃあにーさまに伝えて、ルチアも一緒に行くからって! ――さっきからなに見てるの? あなたも飲む?」

 差し出された乳鉢の中には、すり潰された根と緑色の液体が混ざって異臭を放っている。反射的に仰け反った。「それは?」首を振りながら辞退すると、ルチアは仕上げとばかりに残った液体を飲み干す。

「これ? ヴェルガゼ。もうっ、飲まないなら早く行ってよ! ルチアだって準備しなきゃいけないんだからぁっ!」

 癇癪を起こしたルチアに乳鉢を投げつけられ、兵士は慌てて部屋を飛び出した。万が一にでもあの液体が口に入ったら大事だ。ただでは済まない。
 少し学のある者ならば誰だって知っている。ヴェルガゼは、たった一滴でも口にすれば死を招く猛毒だ。ギリフトの根とミフテの葉から採れる毒素を合わせたもので、幻覚作用と呼吸困難を引き起こし死に至る。
 それを水のように飲み下した少女に、寒気がした。逃げるように去っていく兵士は、彼女の兄を探し求めてひた走る。「ばけもの、」誰もが零すその言葉を、荒い呼吸の合間に挟みながら。



「……そっか、ベラリオさま、死んじゃったんだぁ」

 額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。一人になった部屋はいつもと変わらないはずなのに、恐ろしいまでに静かだと感じた。火照り始めた体に堪らず吐息を零すと、近くの燭台がその炎を大きく揺らした。「そっかぁ」声には、悲哀と諦念が入り混じっている。
 ベラリオと出会ったのは、貧困街の片隅だった。
 化け物と謗られていた兄妹の噂をどこかから聞きつけた第二王子が、二人を見つけるなり愉悦に満ちた目で笑ったのを、よく覚えている。彼の言葉にはいつも嘘がなかった。化け物だ、ガキだ、淫乱だ、思ったままにぶつけられる言葉は、それまでルチアの心を傷つけていたものと同じだったのにもかかわらず、痛みは一切感じなかった。
 ベラリオの手はいつだって乱暴で、だけれど、ひどく気持ちがよかった。痛みと引き換えに与えられる快楽は嫌いではなかった。「お前らは俺のモンだ」所有欲をこれでもかと見せつけてくる浅ましさが好きだった。

「あーあ、もうちょっと遊びたかったのになぁ……」

 机の上に飾ってあった花瓶から、一輪の赤い薔薇を抜き取って口づける。甘い吐息を零せば、肉厚の花弁はあっという間に枯れ落ちた。
 呼気に混じった猛毒が生を奪う。それでも、ルチアは薔薇に口づけることをやめようとはしなかった。


+ + +



 あの日、吹いていた風はいつもと変わらず穏やかだった。青い草のにおいを近くで感じ、揺れる木々から零れ落ちてくる日差しが柔らかだった。
 花を摘み、紅茶を淹れて、心地よい陽気の庭で焼き立てのマフィンに手作りのジャムを添えて午後を楽しんでいると、ふいに甘い香りが漂ってきて髪を撫でられる。その大きな手を飾る宝石は彼の瞳と同じ色をしていて、とても美しいと思ったものだ。
 笑い声が響く。優しい声が名前を呼ぶ。
 声につられて笑顔を向けた瞬間――、眼前に、赤が降った。



「――ッ!」

 声にならない悲鳴が唇を割った。手足が敷布を掻く。ばくばくと大きく脈打つ心臓は今にも破れそうなほどで、乾ききった喉を唾液で潤せば鋭い痛みが粘膜を襲った。
 頭が痛い。夢に見た光景に、全身から汗が噴き出ている。こめかみに流れる汗を拭おうと腕を持ち上げたところで、ライナは耳に届いた金属音に目を瞠った。じゃらり。決して軽くはないその音が、四肢に絡みついている。混乱した頭のまま跳ね起きれば、置かれている状況に頭が激しく警鐘を鳴らし始めた。

「なに、これ……」

 手首と足首にはそれぞれ左右に鉄枷が填められ、太い鎖の先が寝かされている寝台の四隅に繋がっている。鎖に余裕はあるが、寝台を下りて動けるほどの長さはない。着せられている服も、見覚えのないものに変わっていた。


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