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「ああ!」
「じゃあ行くよっ! ――シャマ、<炎壁の守りを築きたまえ>!」

 振り向きざまに叫んだ神言によって、エルクディアとファウストの間にゴォオッと音を立てながら炎が割り込んできた。焼け付くような熱さに瞠目したのは一瞬だ。すぐさま体勢を整え、真正面の大きな窓に向かって走る速度を上げる。
 跳躍すると、風切り音と共にガラスの砕け散る音が派手に響き、シエラの短い悲鳴が落ちていく。ヒュオ、と形容しがたい音が耳朶を震わせる。内臓を持ち上げられるような独特の感覚と風に揉まれる体が、下へ、下へと吸い込まれる。
 ここはホーリーの防衛力に優れた堅城だ。すぐ下には水路ではなく、硬い地面と鋭い鉄柵が待ち構えている。少しでも動けばぐるぐると回転してしまいそうな体をなんとか制御し、エルクディアは壁を思い切り蹴って鉄柵の向こうへ落下軌道をずらした。背の高い常緑樹の枝に、傷むのを覚悟で剣を突き立てる。切っ先が引っかかり、大きな衝撃と引き換えに落下速度が落ちた。
 そのまま木々に揉まれるように、地面へと転がり落ちる。枝による擦り傷が新しく増えたが、あれだけの高さから飛び降りても骨に異常はなさそうだ。
 犬のように荒い息を繰り返し、エルクディアは即座に周りを見渡した。シエラは。あの子は無事だろうか。

「騎士長さん、こっち。大丈夫?」

 蒼い髪が地面に向かって垂れている。クロードの腕の中でぐったりとしているシエラは、どうやら気を失っているらしかった。青ざめた頬が人形じみている。
 肩で息をするエルクディアに対して、彼はふんわりと笑って顎で道を示した。

「クロード神父、ご無事ですか?」
「うん。オレはバッチリ。ついでにお嬢さんも問題なし。飛んでる途中で気を失っちゃったみたいだけど、怪我はないよ。それじゃ、行こうか」

 木の葉一つついていないシエラの体に、整った呼吸。
 無意識のうちに、飛び降りてきた窓を見上げる。あの高さから飛んだ。正確には「跳んで、落ちた」。
 クロードの築いた炎の壁がファウスト達の足止めをしているうちに、この城を離れなければならない。なんとか呼吸を整え、じわりと襲ってくる痛みには無視を決め込んでエルクディアは彼のもとへ小走りで向かった。

「――ですが、どうやって? 向かうべきは王都テティスだと思いますが、この様子では船なんてとても……」
「オレがどうやって騎士長さん達を見つけたのか、もう忘れちゃった?」
「あっ……」
「そ。正攻法が無理なら、密航しちゃえってね」





「――逃げられたか」

 目の前で燃え盛る炎は床から天井まで立ち上る、巨大な壁となって道を阻んでいる。「祓魔師の炎なら人間には効かない! これは幻術だ!」一人の兵士が周囲を鼓舞して壁に突撃していくのを、ファウストは静観していた。結果など見えている。

「ぐ、ぅあああああああああああああああっ!」

 兵士の腕が壁に触れた途端、突如として無数の炎蛇があぎとを剥いた。腕を、肩を、首を、足を、腰を、炎の蛇が四肢に絡みついて男を呑み込んでいく。肉の焦げるにおいと汚い悲鳴がその場に轟く。あとに続こうとしていた兵士達の呼吸が恐怖に染まった。
 誰も助けようとはしない。名も知らぬ兵が一人、あっという間に炭となって炎の壁の前に転がった。
 沈黙が降りる。階下へ駆け出そうとする者すらいない。それもそうかと一人ごち、ファウストはずり落ちかけていた敷布を纏い直した。優秀な兵はもうこの城に残っていない。あとは役に立たない能無しの屑だけだ。

「ファ、ファウスト様、どちらに……?」

 陰で色子だのなんだのとファウストを詰っていた男が、震える声で問うてきた。闇色の視線を投げる。震えた肩を見ても優越感さえ覚えない。
 応える必要もなかった。
 そこには、その場を立ち去る少年の背中を前に、おどおどとうろたえる男達が残されただけだった。


+ + +



 外の騒がしさに、ルチアは眉を寄せた。
 二間続きになっている大部屋のうち、ルチアに与えられた部屋には窓がなく、代わりに薬品棚が壁を覆っていた。あちこちに置いた燭台が透明な瓶に光を反射させて室内を照らし、昼も夜も一定の明るさを保っている。
 すり潰したばかりの根は、紫色の汁を鉢に染み出させていた。つんとしたにおいを確かめていると、ノックもなしに扉が乱暴に開け放たれ、汗を額に浮かべて青ざめている兵士が一人、まろぶようにしてルチアの足元に膝をついた。

「どぉしたの〜?」

 見向きもせずに薬品棚へ移動し、別の瓶から乾燥させた葉を数枚取り出して鍋に放り込む。ぐつぐつと煮える鍋からは湯気が立ち上り、室内を湿気で満たしていく。ここはルチアにとって、私室でもあり、重要な仕事場でもあった。目を凝らせば、奥の棚には乾いた目玉が詰まった瓶を確認できただろう。無数に並んだ瓶には様々な草や乾物、液体が詰められ、不気味な雰囲気を増長させている。
 台を使わなければ届かない棚の高い部分には、猫や兎の愛らしいぬいぐるみが飾られていたりして、そこだけが年相応の少女の部屋のようでもあった。
 妖しい香りをできるだけ吸い込まぬようにしているのか、兵士は肩で息をしながらも、袖で鼻と口を覆っていた。

「ベ、ベラリオ様が、殺害、されましたっ……!」

 背伸びをして赤い花の入った瓶に手を伸ばしていたルチアの手が、直前でぴたりと止まった。震えを隠すように胸の前で手を握り、彼女は震える声で問うた。

「うそっ、いつっ!?」
「つい先ほどです。アスラナの騎士長、並びに同時に捕縛していた祓魔師と思われる男によるものかと」
「エルクが? あの地下牢から逃げたってゆーの? あっ、シエラは!? あの子、いたのっ?」
「神の後継者も共に窓を突き破り、城下へ逃走しました。現在総出で町を捜索中ですが、隊長達が任務から戻られていない今、指揮系統の乱れが――」
「そんなのどーでもいいのっ!! ルチアも出る! にーさまはどうしてるの?」



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