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「――させはしない」

 まだ幼さを残した静かな声が、殺気を宿して滑り込んでくる。
 遅れてやってきた兵士達のざわめきが、室内の様子を見て一層大きなものになった。

「くっ……! これはこれは、図ったかのような頃合いで」
「ベラリオ様! ベラリオ様!?」
「き、貴様らぁっ!! ベラリオ様になにをした!? 捕えろ、逃がすなぁっ」

 数多の兵士が部屋になだれ込んでくる。クロードと剣を交えた少年には嫌というほど見覚えがあった。
 発達途上の薄い体、無機質な漆黒の瞳、ドレスのようになびくのは素肌に巻きつけた白い敷布。動きに合わせて揺れる長い赤紫の髪がこの体の上に落ちてきたことは、まだ記憶に新しい。
 胸の奥がざわついた。言いようのない感情が全身を駆け、気がつけば大声で笑い出しそうになっていた。代わりと言わんばかりに、ベラリオから引き抜いたばかりの愛剣が笑っている。手が震えているのだ。
 恐怖からではない。――この上ない興奮からだ。

「はぁああっ!!」

 傷を負っていることなど、頭からすっぽりと抜け落ちていた。頭は、ただひたすらにあの少年の体を斬りつけることだけを考えていた。エルクディアが下から掬い上げるように斬り込むと、少年は素早く剣を引いて間合いを取る。
 剣を抜き放つ兵士達を牽制しながら、クロードに目配せをしてシエラを頼む。彼がいくら戦闘を得意としているとはいえ、相手は人間だ。祓魔師の彼にとってはやりにくいだろう。

「アスラナの騎士長がベラリオさまを弑した。逃がすわけにはいかない。――我、ファウスト・カンパネラ。ヴォーツが一番槍として、いざ参る」

 静かな声だ。平淡なそれが乱れて熱を帯びるまでに変化したものが、この耳にこびりついている。
 何度も聞いた名だ。ベラリオが、そしてルチアと呼ばれていた少女が、何度も彼の名を呼んでいた。どくり。耳の奥で鼓動が跳ね上がったのを聞く。興奮がすべてを呑み込んでしまいそうだった。
 乱れそうになる呼吸を整える。逸る気持ちを抑えることはこんなにも難しかったろうか。周囲の音が遠くなる。視線がファウストだけを捉え、無機質な闇色の瞳と目があった。

 ――殺してやる。

 膨れ上がった殺気が口火を切った。ファウストが、銀の一線を残す鋭い突きをエルクディアに放つ。少年はクロードやシエラを見向きもしない。まっすぐに心臓を狙ってきた一撃を、半歩踏み込むことで強引に払いのけ、勢いのまま体を反転させて頭部へ向かって蹴りを繰り出す。
 これらの動きが、ほんの一呼吸分の間に行われた。つま先が頬を掠めた感触があった。飛ぶように間合いを取ったファウストを見て、後ろの兵士達が我を取り戻す。クロードがシエラを背に庇ったのが見えた。レイピアを構えるその目は、人を斬ったことのある者の目だ。彼らを斬り殺すことにためらいは感じられない。
 だが。

「えっ……、ちょ、ちょっと、騎士長さんっ、あまり無茶はっ――!」

 クロードがシエラの目を塞いでくれたらいいのに。できれば耳も。
 そんなことを頭の隅で考えつつ、エルクディアの体はファウストに比べれば雑魚と呼ぶに等しい兵士達の前へ躍り出ていた。遅い。しゃがみ、その反動を利用して下半身を斜め上から下に向かって斬りつける。崩れ落ちてきたところを戻した刃で切り裂けば、その場には三人分の鮮血が一斉に噴き上がった。
 起き上がりざまに腹を一刺しし、その兵士を斬り込んできたファウストへ向かって突き飛ばす。避ける動きによって軌道は読めた。素早く左に踏み込んで刃を突き立てたが、ギンっという硬い金属音と共に攻撃が弾かれる。

「……あれだけされて、まだ動けるか」

 間合いを取ったファウストが呆れたように呟いた。
 体に残っていた痛みは、不思議なまでに消えていた。なにも感じない。いつもと同じように全身が動く。手も足も、すべてが自由だ。はっ、と湿った熱い吐息が唇を割った。舌なめずりをすれば確かに血の味がする。

「殺してやる」

 どうか、あの子に聞こえませんように。

「お前も、あの娘も。――あの男を殺ったのはどっちだ」

 どうか、あの子が見ませんように。

「ッ、騎士長さん! このままだと増援が来る! 外に出るよ!!」

 クロードに抱えられるようにして部屋を出ていくシエラの髪が、赤く染まりかけていた視界に流れてきた。一瞬の隙をついてファウストが懐に飛び込んでくる。上段から振り下ろされた刃をぎりぎりのところで受け流す。腕がじんと痺れたのは、拘束の名残だけではない。
 ファウストの速さは並の武人では敵わない。子供だからと侮っていれば、すぐさま首が飛ぶだろう。
 油断するつもりなど最初からない。自分もこのくらいの年で剣を振るっていたのだ。屈強な男達に混じっても引けを取らずにいるには、未完成だからこそ得られる速さが必要だった。


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