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「まずはロルケイトの兵士が裏切った。ヴォーツの一員としてな。でも、そのヴォーツ兵も裏切りを重ねていたとしたら? ホーリーの主要四兵団は合同訓練をあまり行わないと聞いている。だったら、二つの兵団に声をかけられる立場の人物なんて限られてくる。特にヴォーツ兵は矜持も高い。それなりの報酬がなければ従わないだろう。なら、それができる立場の人間は、三兵団と容易く交流ができてなおかつ金も権力も持ってる人物――第一王子と考えるのが妥当だ」
「手順通りすぎて警戒したくなるけどねえ。まるで、この答えを出しなさいって言われているみたいだ」

 王位継承権を持つ三人の王子の内、二人が消えて喜ぶのは誰だ。誰もが残る一人だと考えるだろう。
 残った一人が自分の意志でそれを企てたにしろ、甘い汁を吸おうと周囲の者が企てたにしろ、道はホーテン・ラティエに繋がるよう示されているように見える。
 第一王子ホーテン・ラティエが治める地は、タルネット地方だ。ツウィからは大きく離れており、こちらに誘導されたのは時間稼ぎだと考えれば納得できる。

「これで第一王子をぶっ飛ばして、さあ救出〜ってなったときに第三王子が高笑いして出てきたら、演出としては完璧なんだけど。不法侵入や脱走やら、大問題だ。聖三国同盟はうちが一方的に破ったことになるし、アスラナとホーリーの立場が大きく揺らぐ。はてさてお嬢さん方、その可能性についてはどう思う?」
「シルディが嘘をついたということか? それはない。あの男がそんな真似できるとは思えない。それに、ライナだって!」
「俺もないとは思うけど……、でも、あの秘書官の暗号……読み違えでないとしたら、彼に騙されたってことか――もしくは、彼自身も読み違えていたか、だな」

 あの秘書官の技量がどれほどのものなのか、付き合いのないシエラ達には分からない。レンツォ・ウィズの名に覚えがあるクロードは、しばらくなにかを考え込むように押し黙っていたが、やがて苦笑交じりにエルクディアを支え起こした。
 傷だらけの体を二本の足でしっかりと支え、エルクディアは背筋を伸ばしてシエラを見下ろす。引き攣れた痛みに若干眉が動くのを見逃さなかった。けれど、彼はなにも言わない。だから、シエラもなにも言わなかった。

「ここはホーリー最強を誇るヴォーツ兵団が守る城だ。それなのに警備が甘すぎる。――おそらく、ホーテンあたりに買われたんだろう」
「なら、タルネットに行けばいいのか? そうすればライナ達が――」
「いや。目指すなら、王都テティスだ」
「いざというときの証拠を、そう簡単にタルネットに持ち込みはしないだろうしねえ。それに、あえて今第一王子が動いたっていうんなら、目的は王都でしか果たせない」

 理解できずに首を傾げると、クロードが途端に教師のような顔になる。優しく教え導く者の顔だ。しかし彼は「あとで説明してあげるね」とだけ言って、牢を出るように促してきた。
 牢を出ると、先ほどクロードが縛り転がしていた兵士達が、殺意と恐れの入り混じった視線を投げてきた。布を噛ませて声を奪っているので、彼らからは獣の唸るような音しか発せられない。シエラが逃げるように足を捌くのとほぼ同時に、彼らはその動きを止めた。芋虫のように転がった彼らの目には恐怖しか残っていない。凍てつくような殺気を感じて振り向くと、そこには彼らを激情を孕んだ冷たい目で見下ろすエルクディアがいた。首筋や手首に刻まれた赤黒い鎖のあとが、主張するように赤みを増したようにさえ見えた。
 一瞬。ほんの一瞬だ。彼はすぐにその表情を消し、歩を進める。
 どろりとしたものが見えた。昏く、汚れたものを彼の内に見た。
 背けた視線はそれに対する嫌悪か、恐怖か、よく分からない。

 言葉を失ったシエラに、エルクディアは剣を奪還しに行くと告げた。剣ぐらいあとででもいいだろう。それこそすべてが終わってからでもいいし、それに、新しいものを用意すればいい。そう言ったが、彼は頑として意見を譲らなかった。
 あの長剣は昔、アスラナ王から直々に賜ったもので、アスラナの王都騎士団十三隊を束ねる騎士長としての証明もできる印が刻まれているのだという。あの剣は騎士の誇りでもあり、竜騎士そのものだ。エルクディア・フェイルスがここに訪れた挙句、剣をその身から離すようなことがあったと邪推されては、アスラナそのものが不利な立場になりかねない。
 理解はしても納得しきれないまま、ホーテンの寝室を目指した。
 城内は不気味なほどに静まり返っていた。回廊の角にも、部屋の前にも、本来なら配置されているはずの見張り番がいない。思えば、あの日のロルケイト城も似たような雰囲気だった。
 「……誘われてるな」苦い独り言をエルクディアが零す。そうして辿り着いたベラリオの寝室の前には、やはり誰もいなかった。大きな扉が静かに閉ざされている。話し声も物音も聞こえない。
 忌々しい部屋だ。腕に鳥肌が立つ。エルクディアは伸した兵士から奪った長剣を抜き、扉にぴたりと張り付くようにしたクロードと目配せで意思を確認し合っている。クロードが一つ頷いた次の瞬間、彼は体当たりする勢いで扉を押し開けた。そして怪我をしているとは思えない速さで、エルクディアが部屋に滑り込む。
 クロードがそれに続き、シエラも同様に駆け込もうとしたとき――、エルクディアの怒号が、鼓膜を打った。

「来るなっ!」

 瞬時に足が止まりかけるが、金の双眸は部屋の中に広がる光景をしかと切り取った。クロードが警戒してシエラの背後に立つ。そのおかげで隔てるものがなくなり、よりはっきりと「それ」を見た。
 自分の瞳が限界まで見開かれたのを自覚する。歪みかけた意識を揺り起こすかのように、鼻先を鉄臭いにおいが掠めていく。
 大人五人が横になっても十分すぎる大きさの寝台の上に、一人の男が横たわっていた。かっちりと整えられた服装は逞しい体を隠すのではなく、より引き立てている。
 だが、その分厚い胸板は、不穏に光を弾く一振りの長剣によって貫かれていた。
 敷布がどす黒い赤に染まっている。床に滴る鮮血によく似た色の紅玉が、シエラの目を射抜く。
 まるで標本のようだった。抵抗の痕跡はなく、一瞬で貫かれたのであろう巨躯が綺麗に縫い止められている。その胸に刺さっている長剣は、普段エルクディアが腰に佩いているものに間違いなかった。彼は周囲を警戒しながらもベラリオに近づき、剣を引き抜く。どっと溢れた血液に、足元がぐにゃりと歪むような錯覚を覚えた。

「なんで、あの男が……」

 ベラリオはこの城の主ではなかったか。彼自身も大変な手練れだと聞いていたのに、これはいったいどういうことだ。よろめくシエラの体を支え、クロードが慌てたように言った。

「誰か来た。騎士長さん、とりあえず退くよ!」

 乱暴に押し開けられた扉の隙間から、突風のような速さでなにかが突っ込んでくる。ひゅっと風を切る音が聞こえたかと思えば、すぐ近くで重厚な金属音が鳴り響いた。

「――させはしない」



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