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 牢の見張り番を倒すのは、存外簡単だった。
 クロードの幻炎は瞬く間に兵士を呑み込み、怯んだ隙に体術やレイピアの柄で相手を昏倒させる。素早い動きでそれをやってのけるクロードという男は、対人用の戦闘訓練でも受けているかのようだった。
 エルクディアの場所はテュールが血のにおいを辿って見つけ出していたし、倒した兵士の懐から鍵を奪ってしまえば、あとはもう鉄格子の向こうに横たわる彼のもとへ走るだけだ。
 抱きかかえるように支えたエルクディアの顔は、ただでさえも傷だらけだったのに、より一層ひどいものになっていた。「だから言ったでしょう」と呆れたようにぼやくクロードにどうしようもなく腹が立ったが、シエラが噛みつくよりも先にエルクディアが頭を撫でてくるせいで、言葉が吐き出せなくなる。痛々しい拘束の痕が残る手が苦しさを増す。
 ずるい。なにがあったのか、なにをされたのか。それすら聞かせてはくれない。
 大丈夫だよと微笑まれてしまえば、それ以上なにも言えなくなる。血や痣が滲んだ肌の上に手を翳し、シエラはきつく唇を噛み締めた。
 神の後継者は攻守どちらの力も持っている。癒しと再生を望む神言が唇を割ったが、エルクディアは困ったように眉を下げているだけだった。
 奇跡の蒼と呼ばれる髪が、彼の膝に落ちる。慈悲をと望んだ。神の力に呼びかけた。すべてに救いを求めた。

「無駄だよ。神官の治癒が効くのは魔物によって受けた傷だけだ。彼には意味がない」
「やってみなければ分からないだろう!」
「なら試してごらん。でもあんまり時間はないから、早く諦めてくれちゃったりすると嬉しいかな。――ところで騎士長さん、危険を冒しただけのことはあった?」

 ――奇跡は起きない。
 シエラの神言は空を滑り、精霊は動きを見せるも応えない。伸ばされた手を取っても、痛みを消すことなどできない。突き付けられた現実に心臓が冷えていく。涙さえ出てこなかった。湧き上がっていた怒りすら消えていった。自分が今なにを思っているのかさえ分からない。頭が真っ白になるとは、こういうことを言うのだろうか。
 エルクディアが掠れた声で肯定を示した。
 途中で倉庫から頂戴してきた敷布を裂いて傷口を拭い、目立つ裂傷に巻きつける。同様に新品のシャツを着せてやると、彼はしばらく目を閉じて深呼吸を繰り返していたが、やがて手を握ったり開いたりを何度か繰り返してほっと息をついた。

「ぁ……、ライナ、は、ここには、いない」
「その情報、信憑性は?」
「ベラリ、オ・ラティエは、シルディ王子が、どういう状況下にあるのかも、よく、分かっていなかった。……それに、もし、ベラリオが主犯なら、」

 苦しそうに一呼吸置いてエルクディアは続ける。

「お前まで、一緒の場所には連れてこないだろ。それも直接、この城になんて……。あとは、あの子供が」
「エルク、無理するな。ゆっくりでいいから」

 エルクディアが目だけで「大丈夫」だと笑う。

「あの子供、最近は聖職者で遊べてなかったって、言ってた。真新しい痕もなかったから、直前にライナ達が運び込まれた可能性は、低いと思う。……どうやら、ベラリオが聖職者狩りに関与していたことは、間違いなさそうだけどな」
「真新しい、あと……?」
「気にするな。――ああ、それに、ライナのことで少しカマをかけてみたけど、ベラリオに反応はなし。ただし、子供側に反応があった」
「なるほど、確かにねえ……。彼らの性格なら、綺麗なままで置いておくはずがないか。王子様達を連れ去った男って、あの坊やに殺された彼で間違いないのかな?」
「おそらく。テュールの反応から見ても、そうだと……。気づいてたか本能かは分からないけど、ベラリオが斬ったのも、奴が裏切ってたから、かもな」

 額に滲んだ汗を指先で拭ってやると、エルクディアの睫毛が震えた。
 もしもルグがベラリオを裏切っていたのだとすれば、わざわざシエラ達をツウィに運んで来たのはなぜだろう。利を求めるのなら、ベラリオには面を通さずそのままシエラを売りさばけばよかったはずだ。
 ぐったりとシエラに寄りかかっていたエルクディアが、ぎこちない動作ではあるが自らの力で上体を支えて片膝を立てる状態で座った。不規則だった呼吸も落ち着き、指先の震えも治まっているように見える。

「もう毒は抜けたかな?」
「毒!?」
「シエラ、静かに。大丈夫だから……。毒って言っても、薬みたいなもんだ。少し痺れてただけ。ほら、見ての通りもう普通だろ?」

 「さすがは回復が早いね」とクロードが笑うと、エルクディアもくすくすと笑った。シエラにはそれが信じられなかった。こんなにも傷だらけになって、絶対になにかあったはずなのに、まるでなにもなかったかのように振る舞われる。
 クロードに言われた言葉がよみがえる。『彼はいつまでも君の前で綺麗でいようとする』それはこういうことなのだろうか。怒っていない、傷ついていない、なにもない。大丈夫。だから心配するな。
 ぴたりと閉ざされた心の壁は、いつになったら崩せるのだろう。

「……大丈夫なら、いい」
「ありがとな」

 くしゃりと頭を撫でられて、シエラは俯くことしかできなかった。

「さてさて。となると……、ホーテン・ラティエが怪しいか。第三王子を排除して得するのは上の二人だけど、第二王子にいろいろ押し付けるところを見るとねえ。……こうまで分かりやすい構図なのが、逆に気になるけれど」
「第一王子は温厚な方と聞いてたけど……、継承者争いなんて、なにがあるか分からないしな」
「第一王子……、ホーテン・ラティエ、だったか? でも、あの男や海賊がそのホーテンに従っていた証拠などどこにも……」



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