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「お嬢さんは魔物を祓ったことがあるはずだ。その手でね。人とよく似た形の魔物だってたくさんいる。名前もあるし、意思もある。そんな彼らを殺すことはできるのに、どうして今、お嬢さんはそんなにも怖がっているのかな?」
「それはっ……」
「別にそれでいいんだよ。人間が人間を殺すことはよくない。死ぬことは怖い。お嬢さんの気持ちはもっともだ。間違っていないから、そこは不安に思わなくていいんだ。……うーん、それよりも問題なのは、騎士長さんの方かな。彼は君に、そういった面を見せなさすぎる」
「エルクが?」
「彼は騎士長だ。なのに、彼はいつまでも君の前で綺麗でいようとする。ああ、あくまでも推測だから、深くは考えないでくれると助かるよ。でもね、人生の先輩から一つだけ言わせてもらうなら」

 かつん。最後の一段を下りると、通路の向こうに兵士が立っているのが見えた。こちらには気づいていない。
 クロードが声を潜め、シエラの耳元で囁く。

「知りなさい。お嬢さんは、世界をその目で見て感じるべきだ。そのときに、世界の汚い部分を見せたオレを蔑んでもいい。恨んでもいい。裁きが必要なら、このクロード・ラフォン、神前に喜んで聖血を捧げましょう。――でもまあ、ひとまず今は先に進もうか」

 ついておいで。
 悪戯っぽく笑ったクロードがロザリオを握る。暗い赤がきらめき、神言と同時に火霊の気配が色濃くなった。そして瞬き一つ分の間に深紅の炎が見張りの兵士に襲い掛かる。
 熱を持たない幻の炎。
 悲鳴さえ呑み込むそれに紛れて、クロードは素早くレイピアを抜き放った。


+ + +



 暗い赤紫の毛先から、一滴の汗が零れ落ちた。白い太腿の間に、汚れた金が垣間見える。しっかりと筋肉のついた肩の動きを封じるように跨っていたルチアが、上体を倒して床に落ちていた鎖を引いた。じゃらり。重厚な金属音に重なって、小さな呻き声が床を這う。
 鎖を手にしたまま大きく伸びをすれば、釣られるように両腿の間の頭も持ち上がる。惜しげもなく四肢を晒す少女は汚れた頭に口づけ、けらけらと声を上げた。

「んん〜、楽しかったぁ! ねね、エルクも楽しかったよねーえ?」

 首につけられた鎖を手繰り寄せて問えば、痣と血の滲む顔が露わになる。疲弊し、荒く続く息は今にも意識を手放しそうなのにも関わらず、彼は眼光の鋭さに変わりはない。
 寝台に腰かけていたベラリオが、膝にファウストを乗せて水差しを傾ける。女のように細い指先が、ベラリオの額に滲んだ汗を丁寧に拭っていく。顎を伝い、鎖骨に流れた雫を子猫のように舐め取る様は見る者すべての目を奪うほど、背徳的だった。
 日に焼けた男の頬が、熱気で僅かに赤みを強くさせている。ルチアの下で横たわるエルクディアの四肢には鎖が巻かれ、指先、足先は小刻みに痙攣していた。

「おい、ルチア。その毒、効きすぎちゃいねぇだろうなぁ。死んじまったら意味ねぇぞー」
「へーきだよう。これはレーメン草だもん。すこぉし動けなくなって、いーっぱい気持ちよくなるんだよぉ? だからエルク、楽しかったよねぇ?」

 麻痺毒を与えられた体は、まだあどけない少女の体すら押し返せない。それでも、毒が回るまでに随分と時間がかかった。鎖が残っているのはそのためだ。
 自由を奪われた体にベラリオが拳を振るい、組み敷いても、彼は屈しなかった。見かねたルチアが鼻歌混じりに毒を飲ませても瞳だけは強さを失わず、その気高さは竜と呼ばれるにふさわしいが、今の状態はどう見ても犬そのものだ。
 背から降りたルチアが、薄布を体に巻きつけてベラリオに駆け寄った。口づけをねだれば容易く与えられる。

「んむ、はぁっ……、あははっ! やっぱりルチア、ベラリオさまのちゅう好きー! ねぇ、このあとはどぉするのー? ベラリオさまがいらないんなら、ルチアがエルク飼いたいなぁ」
「アホか。お前にゃ散々くれてやったろーが。竜騎士サマは大事なエサになんだから、早々簡単にペットにゃできねぇっつの。――ファウスト、誰か呼んで来い。竜騎士サマを地下牢に繋がせろ。間違ってもさっきの女と一緒の牢には入れんなよ」

 返事の代わりにベラリオの唇を吸ったファウストが膝から降り、敷布を裸体に巻きつけて部屋を後にした。外にいた兵士を引き連れて彼が戻ると、轡を噛まされたエルクディアが両脇を抱えられ、引き摺られていく。ベラリオの足元で床に落ちた血や体液を見つめていたルチアが、丸みを帯びた肢体をぴょんっと跳ねさせて立ち上がる。掠め取るようにベラリオに口づけ、少女は妖しく唇を歪ませた。

「ベッラリッオさーま。ルチアね、お散歩してくる〜」
「おいおい、襲いに行くんじゃねーぞー」
「わっかんなーい!」

 甲高い笑い声を響かせて、ルチアが扉の向こうに消える。翻った布の向こうに見えた小さな尻には、エルクディアに跨っていた際に付いたのであろう鎖の痕が残っていた。
 少女の姿が消える。小さな体であちこちを飛び回る姿から妖精のようだと喩える者もいるが、ベラリオは「そんないいもんじゃねーだろ」と嗤っていた。確かにそうだ。彼女は妖精だと呼べるほど愛らしいものではないし、どちらかといえば毒蜂の方が似合っている。自分とよく似た顔はくるくると色を変え、花を渡り歩くように欲を追う。ファウストは妹と同じ色の髪をしばらく眺めたあと、寝台に座ったままのベラリオに服を着せた。
 肌着から上着までを懇切丁寧に着せ終えると、ベラリオの太い腕がファウストの柳腰を抱き寄せる。

「ファウスト、どう思う」
「どう、とは」
「あの女だよ。神の後継者サマがなぁんでウチなんぞに来たのか。なんでフェイルスが海賊かぶれなんぞにやられたのか。気にならねぇか?」



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