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 クロードは「このクロード・ラフォンにお任せを」と言い置いて、エルクディアを連れて部屋を出ていった。事情はエルクディアにのみ話すらしい。脅されたときに、情報を持たない方がシエラにとっては有利だからだ。なにも知らなければ、嘘をつく必要はない。
 知らされない不安はあったが、不思議と落ち着いていた。
 戻ってきたクロードは港につくなりセルセラを逃がし、どういうわけか、シエラ達を捕まえたと大はしゃぎする船員らを連れてきた。誰も彼もが、先ほどまでと立場が逆転していたことを忘れているようにも見えた。
 あれよあれよという間に縛られ、麻袋を被せられて城へ連れて行かれたのだ。

 そして今、シエラは一人で牢の中にいる。

 確かに命に危険はない。暴力を振るわれることもなかった。
 しかし、声を封じるために施された口枷が呼吸を妨げ、息苦しい。後ろ手に縛られた手は、多少暴れたくらいではびくともしない。ひゅうひゅうと肩で息をしていると、焦燥感ばかりが襲ってきそうになった。
 ライナはここにいるのだろうか。同じ牢にいるのではと気配を探ってみたが、彼女の神気は微塵も感じられなかった。ツウィにいるのかどうかも分からない。だが、ベラリオが危険な人物であることには間違いがない。あの二人の少年少女もそうだ。幼い外見をしていたが、瞳に映る禍々しさや醸し出す空気の冷たさは、見た目の愛らしさなど容易に吹き飛ばす。
 エルクディアは無事だろうか。シルディはどうしているのだろう。国に連れ帰られたリースは。
 次々に人の顔が浮かんでは消えていく。冷たい牢の空気が頬を撫でた。

「ぎゃっ」

 突然、短い悲鳴を上げて見張り番が膝を折った。驚いて顔を上げたシエラの胸に、なにかが飛び込んでくる。薄暗い中目を凝らせば、それがなんであるのかはすぐに分かった。
 きらきらと光を弾く鱗は、濃淡が変化する美しい緑色をしている。左右異色の瞳がまっすぐにシエラを見つめ、鋭い牙が口枷を噛みちぎった。

「はっ……あ、っ、テュール、あれはお前がやったのか?」
「がーうっ」
「そうか。逞しいな」

 誇らしげに尾の先についた水晶のような塊を揺らし、テュールはシエラの手を縛っていた縄を解いて、頬に鼻先を擦り寄せてきた。
 冷たい鱗の感触が気持ちいい。ほっと息をついたところで、小さな竜はぱたぱたと翼を動かして目線の高さまで飛び、足にぶら下げているそれをシエラに見せつけてきた。鈍く輝く鍵の存在に、思わず目を瞠る。
 形状からして、この牢の鍵だろう。褒めて褒めてと言わんばかりに目を輝かせる小竜に、シエラは目の奥が熱を持つのを感じながら口づけた。

「……ありがとう。私の肩に乗れ。翼、まだ痛むだろう」

 テュールはきらめく尾を揺らし、小さく頭を振る。傷ついた翼を大きく何度も羽ばたかせ、するりと牢を飛び出しては、シエラを急かすようにきゅうと鳴く。
 誘われるままに、シエラは内側から牢の鍵を開けて静かに外へ足を踏み出した。どくどくと耳元で心臓の走る音が聞こえる。緊張で乾いた唇は、今にも震えそうだった。
 なにもしないまま膝を抱えて助けを待つ方が、きっと楽だろう。不安だと嘆いて涙を零して、可哀想な自分を憂いてやればいい。
 あるいは目を閉じ、耳を塞ぎ、心を殺してすべてをなかったことにしてしまえばいい。
 そうすればきっと、楽になれるのだ。

「テュール、クロードは無事だな」

 テュールはクロードと共にいたはずだ。確信をもって訊ねたシエラに、テュールは鳴く代わりに尾を振って返事をした。
 光が揺れる。薄暗い地下牢の中で、清らかな光が線を描いた。

「――なら、行くぞ」

 膝を抱えて、目を閉じて、耳を塞いで、ただ助けを待つ。
 そんなお姫様に、自分はなれそうもない。
 己に言い聞かせるように、何度目か分からぬその言葉を胸中でそっと呟いた。


+ + +



 歴史のディルート、知のタルネット。武を極めるはツウィの民。
 それらを統べる、優しきテティス。

 水と共に暮らす聖なる国、ホーリー王国は、何度も危機を乗り越えてきた。
 自然災害が街を呑んだこともあった。疫病で失っていく命があった。かつての戦争で、奪われていくものがあった。
 人は、土地は、あっけなく死んでいく。
 ゆえに、王は誓った。
 自衛のため以外に、争うことはしないと。
 他国の人間と、刃を合わせることはないと。
 マルセル・ラティエは田を耕し、土にまみれた姿で笑う。これがホーリーであると。
 マルセル王は民の目線に立ち、贅を尽くすことなく政治を行った。誰もが喜ぶ。水路は発展し、港は栄え、商いも順調だ。本島と離島を繋ぐ船の便も多い。
 ――しかし、すべての民がそれを受け入れているわけではない。

「次の王は誰になんだろうなぁ」
「……大きい声で言えんが、有力候補はホーテン様だろう。三兄弟の中で最も知的であらせられる」
「ま、白露宮の大臣らはホーテン派が多いわな。つってもよ、将軍らはいい顔してねぇんだろ?」

 ヴォーツ城の警備兵は、声を潜めて相棒に問うた。苦い顔をして、鮫の徽章を襟に付けた男が小さく頷く。
 攻め込まれた際、熱した油を流すために取り付けられた小さな窓に視線をやって、彼は頭(かぶり)を振った。

「軍部の多くは、ベラリオ様が即位なさることを望んでおられる。あれでいて交渉術にも長けておられるし、なにより今後の情勢を考えると、武力がものを言う世になりそうだしな」
「魔物だなんだって話は、アスラナだけにとどめておいてほしいもんだぜ。それでなくとも、最近ベスティアが静かすぎて不気味だっつってんのに」
「獣の国が息を潜めているというのは、どうにも……。ベラリオ様が即位なされば、あの国と付き合っていくことになるだろうが」
「ベスティアとうちが、ねぇ……。アスラナと同盟結んでる限り、無理だろ」

 聖三国同盟に背くことはすなわち、アスラナに背くことだ。今のホーリーがアスラナに刃向かえば、たちまち国は窮地に追いやられる。

「ベラリオ様が即位なされば、あの国に反旗を翻すことは間違いないだろう」

 反旗を翻す。その言葉が正しいのかは分からないが、兵士は疲れたように息を吐き、ヴォーツ兵団の徽章を指でいじった。

「ま、一番可能性が低いのは三男坊か」
「……とはいえ、シルディ様は正后様のご子息だ。最も陛下の血を色濃く継いでおられる」
「つってもよ、アレじゃあ使いモンになんねぇだろ。あー……、でも、そうか。アイツがいんのか」

 ディルートを治めるラティエ三兄弟の三男そのものは、大した驚異ではない。ベラリオも気にしたそぶりを見せた試しがないが、誰もが懸念する要素が彼には二つあった。
 一つは、シルディ・ラティエが正后の息子であるということ。
 もう一つが、彼にはあの男がついているということだ。


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