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「立ち入り禁止の秘蔵庫から聞こえてくる不気味な笑い声……か。アレばっかりは他に何人も聞いてるんだろ? だから俺達が見張りするはめになったんじゃねぇか」
「だああっ! 言うなって、どうせ噂に決まってんだから! マジなわけないさ。ここは聖職者サマの居城だぜ、そんな勇気のあるユーレーなんていないって」
「でも幽霊って聖職者の担当外なんだろ? アレって魔物とはまったくの別物らしいぜ」

 その返答に「やめろよ!」と怒鳴って痩躯の兵士が耳を塞ぐ。とはいえ一度意識してしまえばそれは脳内に巣を張って、なかなか抜け出てはくれない。
 迫りくる過度な想像が、新たな恐怖となって彼の心身を襲っていた。
 アスラナ城にある数多くの噂の中で、最も新しく最も怖ろしいと言われているのが、この貯蔵庫から聞こえてくる謎の声なのである。
 貯蔵庫の最奥から響いてくるこの世のものとは思えない声は、何人もの女官達が聞いている。初めは誰もがただの噂だと思っていたのだが、声を聞いたというものは増えていくばかりだ。
 皆の情報を寄せ集めると、なんと怪音は十年以上前から続いていたらしい。それがとみに目立ち、大きな噂になったのはほんのつい最近の話だ。
 あまりの事態の大きさに、さすがに訝った女官長が真夜中にこっそりと貯蔵庫を調べたらしい。
 晩餐に出す葡萄酒を取りに行かせるたび、泣きついてくる女官達が増える一方だからである。

 すると最奥――国王と女官長、そして一部の給仕人しか立ち入りを許されていないはずの秘蔵庫から、確かに不気味な声が風に乗って流れてきたのだ。
 彼女はその場で気を失い、翌朝“貯蔵庫の入り口”で発見された。
 生身の人間の仕業かと思って警備兵を置いたのだが、侵入者はおらず、秘蔵庫の中の葡萄酒が盗まれている痕跡もないのだという。そのあまりの不可解さには、誰もが戦慄した。
 三晩に一度は必ずやってくる葡萄酒の亡霊。
 酒に溺れて死んだ男が、この世――というよりは酒――に未練を残してアスラナ王国最上酒に取り付いたのだという説が、今は最も有力だ。

「……おい、今なんか音が…………」

 カツン、カツン、とゆっくり響く靴音に二人は大きく肩を震わせた。互いに顔を見合わせ、生唾を飲んで石段の先を見上げる。
 足音が近づいてくるにつれ、ろうそくの灯りが石の冷たい壁を照らした。
 ゆうらり、ゆうらり。影は揺れながら石段を降りてくる。
 一瞬幽霊かと肝を冷やした彼らだったが、石段を降りきって目の前に現れた人物を見て、さらに心臓を跳ね上げさせた。

「こっ、国王陛下!」

 二人の声が綺麗に重なり、暗がりに佇む青年王に慌てて跪拝を取る。
 思いもよらぬ人物の登場にばくばくと鼓動をうるさくさせていた彼らは、まさか国王自ら噂を確かめにやってきたのかと考え、数秒も経たないうちにその考えを打ち消した。
 国王は多忙の身だ。わざわざそのようなことするはずがない。当然のようにそう思う。

「いいよ、顔を上げたまえ」

 石壁に反響する美声が、慈雨のごとく降りそそぐ。青年王の言葉どおり立ち上がり、もう一度深く頭を下げてから、二人はようやく彼の顔を見た。
 手持ちの燭台に照らされた青年王の姿は、ぞっとするほど美しかった。
 神がその御手で創り上げたのではないかと錯覚してしまうほどの美貌は、日の下にあらずとも健在だ。形良い唇に浮かべられた微笑に、二人は完全に意識を奪われていた。
 彼らに男色の気があるのではない。
 青年王の纏う絶美は、同性であっても心を惹きつけてやまないのだ。ゆっくりと琴線を撫で上げる声音は心地よく、思わずほう、とため息が零れる。
 うっかり職務を忘れて見惚れる兵士に苦笑して、青年王はひらひらとした法衣の袖から鍵の束を取り出した。

「今宵、客人に振舞う葡萄酒を選びたくてね。入ってもいいかな」
「はいっ! もちろんでございます、陛下」
「どうぞ、暗いのでお気をつけてお進み下さい。幽霊が出るとの噂もありますので……」
「幽霊?」

 その問いに馬顔の兵士がはっとして口をつぐんだが、言ってしまえばもう後の祭りだ。己の失言に深々と頭を下げ、「お忘れ下さい」と告げる。
 しかし、青年王の反応は彼らが予想したものとはまったく異なっていた。

「そういえば、そんな話も耳にしたね。……確か、酒に溺れた男の亡霊だとか」
「はい。我々もそう聞いております」
「……無粋だねぇ」

 ぽつりと落とされた呟きは、二人の耳にもしっかりと届いていた。
 だが一国の主に向かってどういう意味だと尋ねるのは無礼に当たると考え、沈黙を守る。
 すると青年王は妖美な笑みを浮かべ、燭台を持っていない方の手で艶やかな銀髪を後ろに払い除けた。長さの不揃いな髪は順番に背に零れていく。

「案外、それは愛しい女性との逢瀬を心待ちにしている男の霊かもしれないよ? 逢える日を待ち望み、彼女が生まれた年の葡萄酒を胸に抱く――……とても劇的(ドラマチック)だとは思わないかい?」
「は……、はい」

 ふふ、と極上の笑みを至近距離で見せられ、二人はぼうっとしたまま頷いた。
 彼にそう言われてしまえば、今まで薄気味悪い「酒に溺れた亡霊」が、とてつもなく切ない人生を送った「悲劇の英雄」のように思えてしまうのだから不思議なものだ。
 そう考えると最早恐怖は消え失せ、幽霊に対する憐憫の情が生まれてくる。
 幸か不幸か逞しい想像力を持っていた二人の兵士は、脳内で思い描いた男女の壮絶な恋物語に涙ぐんだ。
 彼らは今度秘蔵庫の前になにか花でも供えようと心に決め、客人のために手ずから酒を選ぶという心優しい青年王のために貯蔵庫の扉を押し開けた。
 一言礼を言い、薄暗い闇の中に吸い込まれていく彼の後姿を見送りながら、すんと鼻をすする。

「あのお方は素晴らしい王だなぁ……!」
「ああ、俺達下っ端兵士にもキチンと声をかけて下さって……! 俺、一生ついていくぜ!」
「オレもだ!」

 妙な感動を覚えた二人が、青年王を「優渥(ゆうあく)で王であることを鼻にかけず、風情を愛し自然に身をゆだねる尊大で寛厚な至上の主である」と賞賛している頃、金髪の年若い騎士が「こんの忙しいときにどこに逃げやがったユーリーーーー!」と城内を血眼になって駆けずり回っていたことなど、彼らは知る由もない。
 そしてこの数日後、兵士らによってこと細やかに劇的に脚色された貯蔵庫の亡霊の話は、瞬く間に城内に広まっていった。
 それは後の世にて、爆発的な人気を誇る「アスラナ三大悲劇」の一つとして幅広い世代の人間に愛されることになる。


 ――物語の真相は、誰も知らない。



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