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「貴方が見た光は、この青でしたか?」
はっとした。なぜ知っているのかと思ったが、ライナもかつてはこの儀を経験したのだ。知っているのが当然だろう。
こくりと幼子のように深く頷き、シエラは導かれるようにして法石に触れる。
ひんやりとした石の冷たさが指先の皮膚を通して全身に走り、瞼の裏で再び青が弾けた。
「ブルーダイヤ、ですか。予想通りと言いますか、期待を裏切らないお約束の展開と言いますか……シエラにはピンク色の石も似合うと思ったんですけどね」
「予想通り? どういうことだ?」
「この石は法石として、神祇の青や飛翔石などと呼ばれています。ダイヤモンド自体、“清浄無垢、不滅、不屈の意志を貫く”――のような石言葉があり、壊れざる者、征服されざる者を意味します」
ライナは一旦言葉を切り、角度によって深みを増す青い石を見つめた。
「中でもブルーダイヤの持つ石言葉は、全能。“すべてを治め、すべてを終え、すべてを創める者”それがこの石に秘められた言葉なんです」
背後でエルクディアが微笑んだ。嬉しそうに、でもどこか悲しそうに細められた瞳はとても優しく、法石に映り込んだ彼を見てシエラは言葉を失う。
もはやなにを口にすればいいのか、分からなくなっていたのだ。
ライナはそっと法石を持つと、丁寧にシエラのロザリオへと填め込んだ。かちり、と音がして銀に溶け込むように青が光を放つ。
「今まで、この招石の儀で使われる法石箱には幾度となく法石が補充されてきました」
そこまで言われて先が分からないほど、シエラは愚鈍ではなかった。ライナの続けようとしていた言葉を正確に読み取って、己のロザリオを見下ろす。
彼女の視線に応えるように光を弾くブルーダイヤの輝きが、今はとても眩しかった。
ライナの言葉を引き継いだのは、エルクディアだ。
「この石だけは誰も選ばなかったってわけか」
「いいえ。この石が、誰も選ばなかったんですよ、エルク。……あの陛下でさえ、エメラルドだったんですから」
最高祓魔師であるユーリの法石は、星彩効果の施された見事なエメラルドだ。
石言葉は“幸運、愛で成功を勝ち取る”。それに加え、“新たな始まり”という言葉もある。
法石としての最も強い意味は、“すべてを愛して鐘を鳴らし、繁栄を象徴する者”。
このエメラルドの法石でさえ、今まであまり選出されてはいない。
ロザリオを必要としてから何年も眠り続けていた青の宝珠。それは神の後継者に相応しい、神秘の石のようにさえ思える。
冷えていた金属の感触が己の体温によって暖められていくことを感じていたシエラは、気が抜けたように息をついてロザリオから手を離した。
それは一度彼女の胸元で大きく跳ねたあと、何度か上下を繰り返して大人しく胸元に収まった。
漆黒のドレスに映える純銀の煌きに、エルクディアもライナも満ち足りたような顔をしている。
それがなんだかむず痒くて、シエラはつんと顔を背けてぶっきらぼうに言い放った。
「聖水を作り出すんじゃなかったのか? 時間がないのだろう、こんなことに時間を割いている暇があるのならさっさと教えろ」
「まあ……。ふふ、言われなくても教えてあげますよ。大丈夫、簡単ですからすぐにできます」
大丈夫。ライナは呪文のようにそう紡ぐ。
それはとても優しくて、シエラが無意識のうちに保っている壁をなんなくすり抜けてきそうなほどだった。
笑うのは苦手だ。だが、泣くのはもっと苦手だ。
誰がなんと言おうと自分はシエラ・ディサイヤでしかなく、世界を創造した全知全能の神などでは決してない。神になる実感などない。
ただの人間で、なにも知らない始まったばかりの聖職者だ。
そんな不安に負けないよう、彼女自身気づかないまま築き上げてきた透明な壁は、堅固に見えて脆かった。
ゆっくりと穏やかに染み入ってくるライナの声にどうして心が安らぐのか分からないまま、彼女は深呼吸して水を張った器に指を浸す。
気のせいかもしれないが、ブルーダイヤにもう一度呼ばれたような気がした。
「さあシエラ、いきますよ。集中して、落ち着いて。そう、心を穏やかに。面倒だなんて考えないで下さいね。大丈夫ですよ、時間はまだあるんですからね」
こうして始まった法術の訓練は、それから三時間ほど続けられた。
日も暮れだしてきた頃、鮮やかな青が城内の一室を埋め尽くしていたことを知るのは神の後継者に騎士団総隊長、年若い神官と、この城のすべてを把握している国王陛下の四人だけである。
古の詩人はこう言った。
青は夢を紡がない。青は手の届かない位置にある、夢のような現実である――と。
+ + + この国に伝わる不思議な話を、知っているだろうか。
それはとても様々で、いつの世も人々を楽しませてくれる。これもまた、そのうちの一つ。
アスラナ城は歴史ある城だ。
過去幾度も修復と増築を重ねてきたが、時の流れが持つ古の美しさは変わらない。
だが、歴史ある城であるために、“そういう”噂が後を絶たないのである。
“そういう”噂――つまり幽霊騒動は、思いの外身近にあったりするものだ。
例えば、騎士館に飾られてある甲冑が動き出すだとか、第三図書室からは真夜中にすすり泣く女の声が聞こえてくるといったものや、歴代の王の肖像画が互いに絵の中を行き来しあう――などといったものだ。
それこそこの手の話は生者の数ほど存在し、大半がただの噂だと誰もが理解している。
しかし、「万に一つ」という言葉もあるように、例外が存在するということを忘れてはいけない。
「――……なあ、ここだろ?」
「やめろよ! オレ、マジでそーゆーハナシ苦手なんだから!」
若干青ざめた顔で、見張り番の兵士が身震いした。先に声をかけた馬顔の兵士が、重厚な扉をじぃと眺め、遠くから聞こえてくる音に耳を傾ける。
ひんやりとした独特の空気が頬を撫で、えもいわれぬ寒気にため息をつく。
彼はまだ若く、戦にもあまり出た経験がなかった。それゆえか血生臭い話はどうにも苦手で、同僚からも「お前そんなんで兵士やっていけんの?」と心配されてしまうほど小心者だ。
折角の神の後継者披露会だというのに、どうしてよりにもよってここの警備に回されてしまったんだろう――彼はそっとぼやき、質素な軍服の胸元に視線を落とす。
もしもこれが一介の兵士ではなく、騎士であれば表舞台のきらきらしい場所を警備できたのだろうに。
王都騎士団の騎士達が身を包む軍服は、決して華美ではないものの洗練された雰囲気を持っている。
誰もが憧れるその制服に袖を通したいと思うのは、彼だけではないだろう。だが、それは許された者だけしか纏うことができない強堅な鎧だ。
深いため息を吐き出したのは、二人同時だった。彼らが任された警備がもしここでなければ、彼らの不満や不安、劣等感等は三分の一に減っていたかもしれない。
――そう、ここがアスラナ城地下にある葡萄酒専用の貯蔵庫(ワインセラー)でなければ。