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「ユーリからロザリオを受け取らなかったのか?」
「ああ。なにかを受け取る以前に、挨拶以外の会話を交わした覚えはない」
「は? たっく、なにやってるんだよアイツ……まさか忘れてたわけじゃないだろうし。まあ、さっきライナに使いの者を出しておいたからすぐに来てくれるだろ。多分、そのときにロザリオも持ってきてくれると思うけど……」
「随分と段取りが悪いようだな」

 呆れたように投げられた言葉に、エルクディアが眉根を寄せた。その通りなので反論することも叶わず、辛辣な嫌味を租借して身の内に落とす。
 ぴちゃぴちゃと水面を叩いて暇を潰すシエラの指が冷えてきた頃、遠慮がちに扉を叩く音が聞こえた。
 部屋の主であるシエラが応える代わりに、エルクディアが返事を出してその人物を促す。
 扉の向こうから現れたのは、彼らの予想通り小柄な神官だった。彼女はその細腕に似合わない大きな漆黒の箱を抱え、扉を開けてくれたらしい兵士に笑顔で礼を言う。
 エルクディアは自然に彼女のもとまで行くと、ひょいと箱を受け取って近くのテーブルへと置いた。
 箱の中で涼やかな音が響く。

「先ほどは失礼致しましたね、シエラ。陛下ったら急に予定を変えるものですから、わたしも驚きました。本当はこれ、陛下が自ら貴方に下賜する予定だったんですけど」

 困ったように笑うライナの瞳が一瞬翳ったことを、シエラは知らなかった。
 彼女は黒い箱の鍵穴に手を伸ばし、くすんだ銀色の小さな鍵を差し込んで右に回した。かちり、と音がしたのを確認すると、彼女は慎重に箱を開ける。
 さして興味はなかったが無意識のうちにそれを覗き込んだシエラは、軽く目を瞠った。
 中央には見事な装飾が施された純銀のロザリオが配置されており、その周りを取り囲むように様々な宝石が所狭しと並べられていた。
 それも、どれも違う種類の宝石なのだ。闇のように深い漆黒の石もあれば、光のように澄んだ透明の石もある。
 それを見て、エルクディアが満足そうに笑んだ。彼はライナやユーリとも友好的な関係を持っているおかげで、他の騎士よりかは聖職者について知識は豊富だった。
 だが今まで、新たな聖職者に与えられるこの儀式のようなものを見たことはなかった。それが今、こうして見ることができるとは――それも相手は神の後継者だ――、自分はなんと幸運なのだろう、とそんな思いさえ胸に浮かぶ。

 彼がそんな期待に満ちているなどとは露とも思わず、シエラは導かれるようにしてライナの横に立つとロザリオに手を伸ばした。
 制止の声はかからない。そのままロザリオを持ち上げ、意味もなく表裏を確認した。見れば、それはライナのものとは若干形が異なっていることが分かった。
 ほんの僅かだが、ロザリオの先が尖っている。そしてロザリオの中心にはくぼみがあり、填められているはずの石がない。

「今から招石の儀を行います。ロザリオを掛けて、それからできるだけ心を無にして下さい」
「しょうせき?」
「石を招く――つまり、己の力を最大限に引き出してくれる法石を選ぶ儀式ですよ。儀式と言っても簡単なものですから、気を張る必要などありません」

 ここにある石はただの宝ではなく、聖職者の一部となる法石だった。それぞれが持つ神気の波長にあわせ、この中にあるどれか一つが選び出される。
 それは聖職者自身が選ぶのではなく、石が聖職者を選ぶのだ。
 王立学院で聖職者見習い達に支給されるのは、水晶を填め込んだ一回り小さなロザリオだった。一人前の聖職者になって招石の儀を行い、ようやく自分にぴったりと合ったロザリオを手にすることが許されるのだが、シエラはそれを知らなかった。
 そして、いきなりこのロザリオが与えられる理由も。
 並べられた法石をざっと見て、ライナはその中の一つに目を留める。
 ロザリオを首に掛けたままの状態で自分を見つめるシエラに気づき、彼女は照れたようにはにかんで小さく謝罪した。

「大丈夫、すぐに済みますよ。まず、目を閉じて下さい。それからゆっくり、左手を前に伸ばして」

 こくりとシエラが頷く。

「右手でロザリオをしっかりと握って、ただ一言『呼べ』と」

 言われたとおりシエラは右手でしっかりとロザリオを握り締め、暗闇の落ちた瞼の裏で左の手のひらに光が灯るのを見た。
 目を閉じているのだから見えるはずがないのだが、それでも確かに見えた気がした。
 それはとても澄んだ青い光だ。暗い海の底にまばゆい光が差し込んできたような、精練とされた色。

 音は聞こえない。自分の心臓でさえも動きを止めてしまったかのようだ。
 その場にはエルクディアやライナがいるはずなのに、シエラは闇の中で自分が一人でいるように思えた。
 不思議とそこに恐怖や猜疑はなく、初めからこうなることが分かっていたかのようにすっと受け入れることができた。そして唐突に、呼ばれているのだ気づく。
 声なき声が、彼女をずっと呼んでいる。
 それを確かなものにするために、彼女は口を開いた。


「<呼べ>」


 短いながらもそれは神言だった。ふわりと風が左手に巻きついたと思ったら、視界いっぱいに青の光が広がる。
 海に呑まれたような錯覚のあと、シエラの視界は再び闇に染まった。
 耳の奥で異様に早くなった鼓動が聞こえる。がさりと誰かが動く音がして、その場には自分の他にも人がいたことを思い出させた。

「もういいですよ、目を開けて下さい」

 ライナの穏やかな声に、そっと瞼を押し上げた。ロザリオを見下ろしてみるがその中央はくぼんだままで、法石が填め込まれたような形跡はない。
 一体なにが、と思って箱に視線を移動させたところでシエラはあっと声を上げた。
 法石が傷つかぬよう敷かれたやわらかな布の上で、親指の爪ほどの大きさをした青い石が淡く光を放っているのだ。
 弱弱しい光ではあるが、その色は先ほどシエラが見た強烈な青と寸分違わぬ輝きである。
 ライナはそっとその法石を掬うように手のひらに載せると、シエラによく見えるように持ち上げた。
 ころり、と彼女の小さな手のひらの上で法石が転がる。



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