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「まっ、まだ終わんねぇのか!」
「うるさいっ!!」

 当然のことながら、戦闘に慣れていないシエラ一人では限界があった。アビシュメリナの海底で対峙した魔物と比べれば低級なのが不幸中の幸いだ。
 状況はすこぶる悪い。不安定な船の上、ろくな食事もとらず疲弊している体。今のシエラを支えているのは気力だけだ。
 鋭い嘴の先を光らせて向かってきた魔鳥の群に柄杓で樽の水をかけ、即座にロザリオを構えて水霊に力を借りた攻撃を行う。
 威力はまちまちで、安定はしない。決まりきった神言が使えないというのも、ある意味不便だ。
 犬のように息をしながら、シエラは帆柱の影に転がるようにして駆け込んだ。先ほどまで立っていた場所に、ナイフのように鋭い黒羽がいくつも突き刺さる。 
 ――直感を信じたまえ。魔気を感知しているときの君は、五感すべてが研ぎ澄まされているから。
 ユーリの言葉を思い出す。戦闘経験は誰よりも少ない。身体能力も誰よりも劣っている。
 蒼い髪が風に煽られた。「異形とは呼ばれ慣れていませんか」あの男にはそう訊ねられた。あの魔物達ですら、似たような見た目をしている。対する自分は人の形はしているものの、この髪も、この目も、誰も同じ色を持ち合わせてはいない。
 それでも自分は自分だと開き直れるだけの余裕は、まだなかった。ぐっと奥歯を噛みしめて、シエラは樽のもとへ走った。ギャアギャアと魔鳥達がうるさい。まとわりつくワンピースの裾が鬱陶しくて仕方がない。
 なんとか攻撃を受けずに樽のもとへ辿り着き、上蓋を外して、体当たりで転がした。即座に樽に攻撃が集中し、中から水が溢れ出す。

「<聖水となりて、魔を縛れ!>」

 水溜まりから触手のように飛び出していった帯が、魔鳥達を捕らえていく。一撃で浄化できたのは二匹ほどで、あとは水の帯に捕まったままじたばたと暴れていた。
 捕り逃しも多い。どちらの体力が多く残っているかが問題となってくるだろう。はっ、と息をついたシエラの頬を、鋭利な爪が掠めていく。避けようとして転び、四つん這いになった背中に、ばさりという大きな羽音が届いた。目の前に巨大な影が落ちる。

「しまっ……!」
「<神の炎に抱かれて眠れ。――聖火葬送(セイクリッド・クリメイション)!>」

 高らかに勝利を宣言するような声が響き、そしてごうっという音がシエラの周りで生じた。断末魔が轟く。
 一瞬だった。顔を上げたシエラの目に飛び込んできたのは、燃え上がる真紅の炎だ。それは生きていた魔鳥を一匹たりとも残すことなく飲み込んだかと思うと、一瞬で浄化し、灰に返した。
 それなりに数は減らしていたとはいえ、あれだけの魔物が一瞬で祓魔されたことに驚きを隠せない。そもそもこの船には、シエラ以外に聖職者は乗り合わせていないはずだった。
 とんっと軽やかな足音。またしてもばさりと音がする。降ってくる灰を被りながら振り向くと、そこには黒い翼に深紅の炎を灯した男が立っていた。

「よい、しょっと……。お嬢さん、大丈夫?」

 ――違う。翼など生えていない。
 黒い翼に見えたのは、男が纏っている漆黒の外套だ。炎に見えたのは裏地の赤い色が原因だろう。風が吹くたびに大きく煽られ、ばさばさと羽音のような音を立てている。
 頭には山高帽を被り、怪盗かと訊ねたくなるような格好をした男に、シエラは見覚えがあった。帽子から零れた癖の強い銀髪に、暗い赤色の瞳。屈託のない笑みで手を差し伸べてくる彼は、何度か城で見かけたことがある。

「そんなに警戒しなさんな。オレはクロード・ラフォン。アスラナの第一級宮廷祓魔師だよ。ここじゃあなんだし、とりあえずお手をどうぞ、お嬢さん」




 クロードは呆然とする賊達に見向きもせず、足元に広がる灰を踏みつけながら我が物顔で広い船室の中へと乗り込んだ。どこからともなく救急箱を見つけ、シエラの傷を手当てしていく。
 じぃと見つめていると、彼はくすぐったそうに笑って帽子を脱いだ。

「どうぞどうぞ、なーんでもご質問下さいな。このクロード・ラフォン、お嬢さんの疑問には誠意を持って答えさせていただきます」
「……先にエルクを助けに行く」
「彼なら無事だよ。お嬢さんが一人で頑張ってくれてる間に鎖も絶ったし、今はお風呂に入ってる。ちょっとばっちかったからね」

 それを聞いて、シエラは浮かせた腰を再び椅子に戻した。


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