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 アスラナ城は、城そのものが大きな結界だ。裏に魔物の巣窟であるリロウの森を抱えているのだから、それも当然だ。森一つを押さえ込むだけの強大な結界を張るために、何十人もの聖職者と職人の技術が要されている。その筆頭は最高祓魔師である、アスラナ国王だ。
 螺旋を描く石段を降りた先のアスラナ城の地下には、長い廊下がずっと続いている。幅は狭く、季節を問わずじめじめと湿っぽい。昼間だろうが光は射し込まないので、常に燭台を持ち歩く必要があった。
 どこまでも続いていそうなその廊下の先には、鉄門扉がある。分厚いそれを抜けると、さらに奥にまた同じような扉があり、それをあと三回ほど繰り返すと、拓けた場所に出る。
 城の大広間と変わらぬ広さのそこは、神殿のようでもあったし、冷たく暗い石牢のようでもあった。中央に巨大なロザリオの像が置かれ、そこから同心円上に小さな祭壇がいくつも設置されている。天井は地下とは思えないほど高く、火霊によって灯されている照明は、緑生い茂る天井画を照らし出していた。
 壁にはどこから引いてきたのか、水の幕が張られている。その奥で、ゆらりと影が揺らめいた。
 水の幕の向こう側で、幾人もの聖職者達が祈っていた。流れている水はすべて聖水だ。床に刻まれた細い溝を通り、中央のロザリオへと集中している。美しい文様を描くそれは、聖職者学校で使用されている教科書の表紙に描かれているものと同じだった。

「……陛下」

 重たい扉を押し開けて入ってきた人影に、透明な幕の向こう側からしわがれた声がかけられた。一人の初老の男性が濡れた頭巾を取り去り、膝をつく。

「いいよ。貴方に体を壊されてはたまらないからね」
「――それは助かります」

 神官の中でも五指に入る五聖官が一人クラウス・ハリアは、通称「祈りの道」へとやってきた青年を見上げて薄く笑んだ。正直なところ、冷たい石床にいつまでも膝をついていることは苦痛だったので、彼の気遣いはありがたい。
 美貌を誇る青年王は、クラウスに比べればまだまだ若く、子供のような存在だ。確かに力は今まで見てきたどの祓魔師よりも強い。祓魔師としても王としても、必要な頭脳は備わっている。だが、仲間内でひっそりと話が出る程度には、彼は青年王を心配していた。
 ユーリ・アスラナはまだ若い。彼が王座についた理由は、もちろんその力にある。正規の手順に乗っ取って前王から今の座を引き継いだ。しかしそこに隠されたもう一つの目論見を、彼が気づいていないはずもない。
 彼はいつでも自由に振る舞う。政務はほどほどにこなし、采配も違えない。そこに目立ったゆがみはない。

「……陛下、本日もなさいますか。連日の奉仕はお体に障ると申し上げたはずですが」
「クロードが抜けた穴を埋めるには、これくらいしないといけないよ。それになにより、神の後継者がこの国からいなくなったことで、森が随分と騒がしい」
「それは重々承知しております。なれど――」

 続けようとしてクラウスは言葉を飲んだ。ユーリが浮かべていた微笑が、あまりにも悲痛な訴えを含んでいたからかもしれない。
 これが、年を重ねた聖職者達の心配の種だった。
 青年王は強い。確かにそう見える。それなのに時折、霞よりも儚い存在のように見えてしまう。彼の采配には、前王付きだった文官達も感心するほどだ。だが、彼が己に下すその決断と、もう一つの事柄に関しては、眉を寄せずにはいられない。

「陛下、自己犠牲が貴いものとは思いませぬ。あなたはまだお若い。いかようにも生きられる。魔物なき後のアスラナを担うことも可能です。まだまだあなたに……、あなた方に、学んでいただくことはございます。そのことを、お忘れなきよう」
「ご忠告、痛み入るよ」

 それだけを言うと、ユーリは巨大なロザリオの像の前に膝をつき、聖杖の持ち手を反時計回りに捻って抜いた。顔を出した刃を彼は躊躇いなく己の髪に当て、掴んだ銀の束を切る。はらはらと、数本が落ち葉のように床に散っていった。
 彼は切り取った髪の束を、像の足下にある水溜まりへそっと浮かべた。噴水から水が噴き上がる代わりにロザリオが立っているかのようなその場所は、大きな聖杯だった。むしろ、この空間そのものが聖杯の役割を果たしているとも言える。
 クラウスは、小さく神言を紡ぐユーリの背を黙って見つめていた。彼は髪を切り取った刃を指先に押しつけ、浮き上がってきた赤い珠を水に落としていく。
 アスラナ屈指の神官達が祈りを捧げ、清浄な気で満たされたそこに、青年王の力が加わる。床に刻まれた溝を流れる水が一瞬淡く発光したように見え、ロザリオがリィインと鳴いた。



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