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 聖職者も魔導師もいない船で、魔物相手に立ち向かえるのは神の後継者だけだと判断したのだろう。二の腕を力任せに掴んで引きずられ、あまりの痛みに腕がもげそうだった。

「離せっ! 魔物は祓うっ、だから! エルクの、アイツの鎖も解け!」
「んなもんあとだ! 早くしねぇとこの船が沈んじまう!」
「暴れんな! とっとと来い!! ――ちくしょう、なんで急に……!」

 どれだけ抵抗しても男達はびくともしない。エルクディアが身を揺すって鎖を鳴らすが、その存在すら気づいていないようだった。
 船室から連れ出される間際、はっとしてセルセラを見た。シエラと同じ鎖で柱に繋がれていた彼は、今や自由に室内を歩き回れるようになっている。今の騒ぎで、手の縄もほどけたらしい。
 望みはここに賭けるしかなかった。

「――いいか、殺されたくなければエルクを助けろッ!」

 男達は動転していてセルセラの状態に気づいていない。だから叫んだ。
 必ず助け出せ。白いワンピースの裾をさばきながら、喉が潰れそうになる大声で吠えた。
 セルセラとエルクディアを残して、船室は見えなくなる。引き上げられた甲板に放り出され、シエラはろくな食事もできていなかったせいでふらつく体を抱え、飛来した鳥型の魔物と向き合わされた。

「なんだ、この数……」

 甲板には一面に血と漆黒の羽根が広がり、死んだ船員達が折り重なって地獄絵図を描いている。頭上はそこだけ雨雲が発生したかのように、魔鳥の群で黒く影ができていた。
 まだ命を手放してはない男の体に何羽もの魔鳥が群がり、鋭い爪と嘴で肉を啄んでいく。迸る悲鳴と、魔鳥達の甲高い嘲笑じみた鳴き声が波の音を打ち消し、血の雨を降らせる。
 思わずよろめいたシエラの足首が、強い力で掴まれた。「ひっ……!」掴んでいたのは、捕まった当初、エルクディアを鎖で雁字搦めにした男だった。
 その顔は半分が形を失い、魔気を受けてぶくぶくと血泡が沸騰したように湧き出ていたが、かろうじて個人は判別できた。腹からは抉り出されたはらわたがはみ出ている。

「たす、け……」

 シエラの剥き出しの足首には、べっとりと血の手形がついた。
 助けてくれと懇願され、真っ先に沸き上がってきた感情は怒りだった。なにを勝手なことを。お前達を助けてやる義理などあるものか。
 そう思うのに、手は服の中に仕舞い込んでいたロザリオをしっかりと握っていた。近くに置いてあった樽から手のひらに水を掬い、神言を唱えて爛れた男の顔に振りかける。じゅっと焼け石に水をかけたような音がし、すぐさま耳を塞ぎたくなるような絶叫が鼓膜を叩いた。

「<清めと、穢れた痛みからの解放を>」

 絶叫が徐々に小さくなっていく。
 本来ならばこうした癒術は、神官が持つ力だ。戦う力と守る力、傷つける力と癒す力。両方を持ち合わせた存在が、神の後継者だった。
 男の爛れた顔が、だんだんと元通りになっていく。それでも顔の半分を失っていることには代わりがなく、破られた腸を元に戻す力はシエラにはなかった。
 それでも痛みから解放され、穏やかな表情になった男の手はシエラから離れ、やがて力なく甲板に放り出された。
 これで終わったわけではない。樽の水をごくごくと飲んで喉を潤し、頭ごと樽の中に突っ込んで汚れた顔を洗った。髪に含んだ水は絞らない。そのまま聖水へと変える。あのときのエルクディアのように、乱暴に前髪を掻き上げた。
 あちこちで聞こえる阿鼻叫喚。帆が破られ、波に煽られ、船は揺れを増していく。

「<……すべての精霊よ、私に力を貸せ。この船に、神聖なる守りを巡らせろ!>」

 普段着ていた神父服が、どれだけ魔気から守ってくれているのかがよく分かった。直接肌に感じる魔気に、胃の腑が素手で掻き回されているような気持ちの悪さを覚える。
 神聖結界を張る役割はいつもライナが担ってくれていた。どう言葉を選べばいいのかよく分からない。
 拙くも気持ちだけは込めた必死の呼びかけに、精霊が答えた。

 ――応。

 パンッと大きく手を打ち鳴らしたような音がして、ほんの一瞬、シャボン玉の膜のようなものが目に見えて船全体を覆った。
 たったそれだけで、シエラの体にはどっと疲れが押し寄せてくる。ここで膝をつくわけにはいかない。
 神聖結界内に閉じ込めた魔鳥達が、天敵の存在に感づいてギャアギャアと騒ぎだした。彼らにとって、シエラは天敵でもあり、同時に最高の餌でもある。いくつもの赤い眼差しを一身に浴び、否が応でもシエラの心臓を最高速で駆けさせる。

「絶対に生きて帰って、あの文官に目にもの見せてやる……!!」

 そう吐き捨てるように言い、シエラはロザリオを握る指に力を込めた。



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