5 [ 301/682 ]

 抵抗しないわけではなかった。エルクディアはこの船に乗せられる直前まで、傷だらけの体でシエラを逃がそうと奮闘した。だが、そのたびに銃弾が、刃が、シエラの体を掠めていく。屈強な男達が彼女の腰を抱いたその瞬間、彼は抵抗する術をなくすのだ。
 「守られる側だって、苦しいんだ」そんな小さな独り言が、気がつけば口から漏れていた。
 足手まといになりたいわけじゃない。ただ守られたいわけじゃない。どれほど無関心でいようとしたところで、心は消えてくれない。自分を守ろうとしてくれる人間が傷つくことに、無関心ではいられなかった。
 いっそ心などなければ楽だったのだろうか。噛み締めた唇は荒れ、捲れた皮が気持ち悪い。

 翼を傷つけられ、袋詰めにされて海に放り投げられたテュールのことを思うと、さらに胸が痛んだ。無事だろうか。あの子は伝説の竜だ。時渡りの竜だ。そう簡単に死ぬはずがない。そうは思っていても、不安は加速をやめない。
 どうにかして、この鎖を外すことはできないか。後ろでに縛られた手を何度も動かしながら、シエラはそれだけを考えることに集中した。
 泣いて不安がったところで、なにも変わらない。それはあの海の底でよく身に染みた。ならば、どうにかするために動くしかない。
 何度も法術を行使しようと試みたが、精霊達はどんなに呼びかけても反応しなかった。どうやらこの船室には特殊な結界が施されているらしい。精霊がいなければ、神の後継者といえど術を使えない。さらなる苛立ちがシエラをせき立てる。

「それでね、クレミーアが――」
「うるさい。……セルセラ、この縄をほどけないか」
「それは無理だよ。何度も試したでしょう? 諦めておとなしくしておいた方が、痛い思いをしなくて済むよ」

 セルセラはそう言うと、またしても想い人の話をし始めた。

「クレミーアはぼくのお嫁さんなんだ。とってもかわいいんだよ。ああ、ぼくのかわいいクレミーア……」

 さらわれているという恐怖から、少しおかしくなってしまったのだろうか。夢心地な様子で、セルセラはクレミーアという女性のことを語り続ける。
 どこぞの貴族らしいセルセラもまた、身代金目的に連れ去られたようだった。彼が言うに、この海賊船には聖職者狩人と奴隷商人達が乗っているのだという。そして、あの小綺麗な男達は、ホーリーの役人らしい。ルグという名は晩餐会で聞いたことがあると、船室に押し込められたその日に言っていた。
 セルセラの言うルグと彼が同一人物であるなら、彼はルグ・ローシという名で、ホーリー王国第二王子付きの文官に間違いない。
 息をついたシエラの耳に鎖の音が聞こえ、ずっと眠っていたエルクディアが目を覚ましたのだと気づく。「エルク」呼びかけに応じるように彼はうっすらと目を開け、腫れた目元をゆるりと和ませた。

「える、く……」

 目が合うたびに、泣きたくなる。どれほど己とその誇りを土足で踏み荒らされようと、エルクディアはけっしてその瞳から光を消すことはなかった。
 シエラと目が合えば、柔らかく、時に苦笑を交えて微笑む。しかしセルセラや賊達に向ける視線には、徐々に狂気が混じり始めていた。立ち上る殺気によって、肌が焼かれそうだった。

「彼、大丈夫かな。まともにごはんも食べてないし、水だってろくに飲めてないでしょう? 弱ってきてるし……、まあ、殺す気はないんだろうけど」

 セルセラは暢気にそう言うと、「あれ?」と首を傾げた。

「なんだか上が騒がしいね……。やだな、なにかあったのかな。目的地に着いたとかなら、いいんだけど」

 確かにばたばたとせわしない足音が聞こえてくる。「この感覚……?」ぞくりとした寒気が足先から頭の先まで上っていく。体の芯から冷えていく感覚は、おぞましいものに他ならない。次第にそこに悲鳴や怒号が混じり始め、シエラは嫌な予感が的中したことを悟った。
 徐々に大きな足音が近づいてくる。勢いよく部屋に飛び込んできた男達は、ぜいぜいと息を切らせ、その体は血にまみれていた。
 外から風が吹き込んできた瞬間、どくりと心臓が跳ね上がる。扉が開くと同時に、精霊の嘆きのようなものも聞こえてきた。

「魔物だ! 魔物に襲われた!!」
「聖職者はおまえだけだ! 助けてくれっ!」

 筋骨逞しい男達が、脂汗を浮かべて声を震わせている。あれよあれよと足枷を外され、シエラは無理矢理立たされた。セルセラが悲鳴を上げる。知ったことかと突き飛ばされた彼は、無様にその場に尻餅をついた。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -