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「くそっ、離せ! しがみつくな! ――エルクっ!」
「いやだよ無理だよ、助けてよ! きみ、神の後継者さまなんでしょう!?」

 「動くな!」礼服の男達に背を向けてシエラの元へ駆けたエルクディアの叫びに、足を掴んでいた男の動きが止まった。
 一瞬の安堵が生まれ、そして次の瞬間、鼓膜を震わせた大きな破裂音に、シエラは目を瞠った。
 ――パァン、でも、ドゥン、でもない。どう表現すればよいのか分からないその音は、聞き覚えがあった。
 剣を構えていたエルクディアの表情が、驚愕のそれに変わる。今、頬を掠めていったのはなんだ。痛みを痛みと感じるよりも早く、エルクディアの肩から鮮血が噴き出した。

「エルっ、エルク!? どうしたっ、おい、エルク!」

 血のにおいがひどい。
 どくどくと流れ出る鮮血にシャツを染め、それでも倒れることのなかったエルクディアの背後に、影がかかった。ジャキリ。重たい金属音が鳴る。
 文官然とした男がうっすらとした笑みを浮かべ、小さな銃をエルクディアの頭に乱暴に押しつける。

「お前には用などないが、そこの女には利用価値がありそうだ。あの女を死なせるわけにはいかないだろう? ついてきてもらうぞ」
「誰が、渡すか……っ!」

 力の入らない腕とは逆の手で剣を持ち変え、振り向きざまに斬りかかろうとしたエルクディアの足を、再び破裂音が捕らえる。
 一発、二発。響き渡る銃声と同時に、血飛沫が舞った。赤い滴がシエラの頬にも跳ね飛ぶ。崩れ落ちたエルクディアの口からは、ひゅうひゅうと荒い息が漏れてる。
 あまりの出来事に、悲鳴一つ出てこなかった。瞼の存在を体が忘れたかのように目を瞠り、倒れるようにして膝をつく。伸ばした手の先が、ぬるりとした血溜まりに触れた。
 こんな風に誰かが赤く染まりながら倒れるのを見るのは、何度目になるだろう。声にならない悲鳴が零れそうになったそのとき、彼は血に濡れた指で地面を掻き、殺意に満ちた双眸を男に向けた。
 殺してやる。そう言わんばかりの鋭い視線に、銃を構えた男がくつりと笑う。

「ほう、その状態でも急所は外すか。……まあ、死なれたら土産が一つ減るからな。これは好都合だ。――お前達、そこの女はいくらになりそうだ?」
「コイツが本物の神の子だとすると、ルグさま、俺達じゃあ値段はつけれやせんぜ」
「二億……いや、倍の四億バルストくらいは!」

 下卑た視線を向けてくる男達を前に、シエラは恐怖と同時に怒りを覚えた。唇に血の化粧を施しながらも、エルクディアは賢明にシエラを守るべく剣を構えようとしている。
 おろおろと服の端を掴んでくる後ろの男が鬱陶しい。そしてなにより、目の前のこの男達が憎い。
 なにかが凍りついていく音が、耳の奥の方で聞こえた。冷えた風が髪を撫で、首筋を擽っていく。なぜか、今ならばどんなことでもできそうな自信が沸き上がってきた。
 ――薙ぎ払ってしまおうか。
 ゆらりと立ち上がったシエラに、男達が警戒する。片手を伸ばし、口を開いたその瞬間、顔に飛びついてきたテュールによって彼女は言葉を失った。
 女に尾を切りつけられ、ぼたぼたと血を流しながらも、小さな竜は何事かを必死に訴えてくる。はっとしたところで、痩躯の男――ルグが、再びエルクディアに銃を突きつけていた。

「ご乗船いただけますね、神の後継者様」




 そうして強制的に乗せられた船の中で、シエラ達は狭い船室に押し込められていた。足には鉄枷が施され、シエラはセルセラと名乗った男と繋がれていた。部屋の端にある柱には傷だらけのエルクディアが口輪を填められ、頑丈な鎖でぐるぐる巻きに縛りつけられている。
 取れるものなら取ってみろと言いたげに長剣は足下に転がされ、身動き一つ取れない様を嘲っているようであった。
 シエラとセルセラは比較的自由に動けるが、柱を通された鎖はエルクディアのもとまで辿り着かせてはくれない。賊の一人が食事を運んでくるたびに、笑いながら雁字搦めの彼を殴り、蹴り、頭から水や冷えたスープをかけて去っていく。食事も用足しもままならず、船室はひどく饐えた臭いに満ちていた。
 塞がりかけた傷口だけでなく、人としての尊厳さえ踏みにじられていく彼の姿に、シエラの精神の方が限界に近づいていた。助けたいのに、手が届かない。あの鎖さえほどけば、きっとこの船から脱出できるに違いないのに。



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