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 シエラの脇を通り過ぎたエルクディアは、執務机の近くの壁に貼ってあった大きな海図を、そっとめくった。
 壁には、ひと一人が通り抜けられそうな大きさに、長方形にうっすらと亀裂が入っている。

「城の防備が堅ければ堅いほど、脱出しにくくもなる。いざというとき、この城において、なによりも身を守らなきゃいけないのは誰だ?」
「……城主、シルディか」
「部下や領民を見捨てて逃げるのは、まあアレだけど。この城の守りが破られた時点で、体勢を立て直す以外に勝ち目はないだろうしな。――それじゃあ、行くか」

 エルクディアが亀裂の内側を押すと、それはずりずりと重たげな音を立てて奥に押し込まれたあと、ふっと姿を消した。すぐにくぐもった水音が聞こえる。
 どうやら、穴の先は水路に通じているらしい。
 エルクディアが苦々しく息を吐いた。
 さすがは水の都、ディルートだ。
 そして二人は、壁の穴に身を滑り込ませた。


+ + +



 無事に城を抜け出した二人が繰り出した町は、王子の身に起こった出来事を誰も知らぬようだった。
 だが、王子の姿を見た者は少なくはなく、二人は人々の話とテュールの案内を頼りに船着き場へとやってきた。
 びゅうびゅうと吹きつける海風に、スカートの裾が煽られる。シエラは、よりにもよってこんな服を選んだエルクディアを、きつく睨み据えた。
 今のシエラは、胸までの柔らかな栗色の髪を揺らし、膝丈の白いワンピースを纏っている。あの穴をくぐる直前で、エルクディアに呼び止められて髪を結われた。器用に長い髪を編み込み、ぐるりと頭を一周するように纏められたかと思えば、この鬘を渡されたのだ。
 昨晩、衣装部屋に忍び込み、着替えと一緒に拝借してきたらしい。

 飛び込んだほの暗い穴の底は、思ったよりも水かさがなかった。足首を覆う程度で、小さな水路のようになっていた。かなりの距離がある。ある程度覚悟していたのだが、下水ではないらしく、鼻をつくようなにおいはない。たまに、魚が足の間をすり抜けていく感覚があった。
 奥に行くほど迷路のように入り組んでいたが、テュールが鼻を利かせたおかげで、特に迷うこともなく地上に出ることができた。
 水路の出口は、ディルート郊外にある橋の下に設けられた倉庫に通じていた。
 埃と蜘蛛の巣にまみれた倉庫の外からは、遥か遠方にロルケイト城が確認できた。確かにここならば、敵兵に見つかる可能性も低いだろう。
 濡れた服が乾く頃には、二人はすでに人気(ひとけ)のない船着き場に辿り着いていた。市場で買った昼食を取りながら、ぼんやりと海を眺める。
 シルディがここに向かうのを見たと言った店の主人の証言を最後に、ぱたりと目撃証言は途絶えてしまった。そもそもこの場に人がいないのだから、それも無理はない話だ。
 これからどうするつもりなのだろう。
 魚の揚げたものを挟んだパンをかじるエルクディアを盗み見るようにしながら、シエラは焼き鳥を頬張った。
 テュールが必死になって連れてきたのは、船着き場の奥の入り江だった。船もなければ、人もいない。なにかを必死に訴えているが、小竜の言葉を理解することはできなかった。

「テュール、ここにライナ達はいたのか?」
「がうっ」
「だとしたらまずいな……」
「なにがだ?」

 昼食を終え、入り江を探索する。足場の悪さと慣れない服装も相まって、生まれたての子鹿のような歩みになった。

「さっきの店主が言ってたろ? この辺りでは最近、例の海賊騒ぎも出てるって。……万が一ツウィと賊が繋がってるとしたら、面倒なことになる」
「ツウィ、とは?」
「ホーリーの主要四都市の一つで、第二王子ベラリオ・ラティエが治めてる。ヴォーツ兵団が有名だな。よりにもよって、ツウィにいるとは……」
「ちょ、ちょっと待て! なぜそのツウィが出てくる? そんなことは今まで誰も言ってなかっただろう」



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