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「やっぱり分かってなかったな、お前。……まだ動くなって言ったろ。大体、世界最高峰の堅城から、本気で抜け出せると思ったのか?」
「それは……」
「それに! あんな高さから、こんなゆっるゆるのロープで伝い降りるだなんて死ぬ気か? たっく、本気で首輪と鈴、つけた方がいいかもしれないな」
エルクディアが敷布の縄を左右に引っ張ると、いとも簡単に結び目がほどけていった。きつく縛ったはずだったのに、どういうことだ。
目を白黒させるシエラを横目に小言を漏らしながら、彼は手を引き、シエラについてくるように促した。
言われるがまま、導かれるがままに部屋を出て、城内を進む。
城内はしんと静まり返っていた。すれ違う侍女や兵士の姿も少ない。エルクディアが言うには、今回の件で夜通し会議が行われているらしい。高官から下働きの少年少女に至るまで、必要最低限の行動以外に動くことを禁じられている。
生気に溢れていたロルケイト城は、今ではすっかりその輝きを失っていた。
エルクディアが足を止めたのは、大きな両開きの扉の前だった。シエラが両手を伸ばして、ようやっと片側の扉に足りるかといった豪華な造りだ。花の彫り物と一緒に、人魚やイルカが戯れている。
躊躇いもなくエルクディアは扉を押し開けた。重厚な扉が、僅かに軋む。
中は、扉の豪華さとは打って変わって、驚くほどに簡素だった。広さはかなりある。壁一面に本棚が並び、窓際に置かれた飾り気のない執務机の上には、分厚い書物が何冊も積み上げられている。棚には、割れた花瓶やよく分からないものが並べられていて、本棚が占領していない壁には、ところ狭しと地図が貼られていた。
部屋には誰もいない。足音を吸収する分厚い絨毯もなければ、つやつやとした革張りの寝椅子(ソファ)もない。
「ここは……」
「シルディ王子の私室だよ。王子自身がおられないせいか、警備兵も置かないらしい。まあ、普段は違うだろうけど。――はいこれ。そっちで着替えてこい」
「うわっ! な、なんだ……?」
投げ渡されたのは、どうやら服らしかった。時間がないから早く、と急かされて、シエラは訝りながらも本棚の陰で服を着替えた。
足下のすうすうとした感覚に、絶句する。
「終わったか?」
「なんなんだこれは! どうして着替える必要があ――……、お前も着替えたのか?」
「当然だろ? あの軍服はこっちじゃ目立つからな」
エルクディアが着ていたのは、見慣れた軍服ではなかった。ロルケイト城で見た使用人のお仕着せを、フェリクスのようにだらしなく着崩している。鎖骨を晒し、胸元は大きく開いていた。
普段は下ろされている前髪も、今は後ろに流されている。額が露わになったせいでやや幼く見える顔立ちと、その出で立ちも相まって、今のエルクディアは騎士というよりも貴族の道楽息子といった雰囲気だった。
「それにしても、なぜ着替える必要がある」
「目立たないようにするためだよ。探すんだろ? ライナと王子を。だったら、アスラナから来たってバレない方がやりやすい」
「しかし、お前は動くなと……」
「なんの準備もなく動くなって言っただろ? お前、ほんっと人の話聞いてないんだな」
「聞きたいことあるなら、あとでまとめて答えるから」そう言って、エルクディアは落ち着かない様子で首を回した。
使用人のお仕着せに帯剣というちぐはぐさに違和感がないのは、服を着崩しているせいだろうか。
エルクディアは部屋のあちこちを見て回り、いろいろと動かしていく。
なにをしているのか、なにを考えているのかさっぱり分からない。ただ一つ分かるのは、彼とてこのままアスラナに帰る気はないということだった。
ガコン。暖炉の隣にあった棚をずらすと、どこからかそんな音が聞こえてきた。音がしたのは、あの大きな扉のあたりだ。
「ホーリーの城はどれも難攻不落の名城だ。攻め入るのは難しい。でも、絶対に侵入されないとは限らない」