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 こうした日々が、それから三日続いた。王は訪ねてこない。魔導師学園に対する不穏な噂も聞かなければ、自分に対するなんらかの処罰が下された様子はない。なにも動いていないというのだろうか。
 体は随分と回復した。まだ手は思うように動かないが、食事くらいは自力でできる。手のひらに刻まれた深い傷跡は、またあの女を連想させる材料になった。
 それからさらに二日経った日の晩に、ラヴァリルは再び病室を訪れた。

「――お待たせ、リース」

 燭台を片手にそう言った彼女は、五日前よりも少し、やつれているように見えた。


+ + +



 変化は突然訪れる。
 さもそれが当たり前であったかのように。
 それまでの軌跡を知らぬ者にとっては、その意味を理解する間もなく、変化の渦に飲まれることとなるだろう。


+ + +



 がう。
 肩に乗ったテュールが小さく鳴いたので、シエラは思わずびくりとした。
 手をかけた窓枠が、かたりと音を立てる。しっ、と黙るように注意してから、シエラはそっと窓を開け放った。
 ぶわ、と風が吹き込んでくる。
 早寝遅起きが原則のシエラにとって、まだ空が白み始めた頃合いにこうして活動することは、奇跡に等しかった。藍色が薄く捌けられている空は、こんなにも美しいものだったのか。
 空の端が薄紫に染まり、ちらちらと瞬く星と、顔を覗かせた朝日が共演している。柔らかい色だ。あんな色をした絵の具を、今までに見たことがない。
 吹き込んできた風に頬を叩かれ、シエラはふるりとかぶりを振った。感動している暇はない。一晩かけて準備した手製の縄を、いそいそと出窓の手すりにしっかと結びつけた。敷布を切り裂き、それらを結ぶことによって一本の長い縄を作ったのだ。
 ――自分は随分と、敷布(シーツ)に世話になるな。苦笑混じりにその強度を確かめる。

「……よし」

 見下ろした地上までは、かなりの高さがある。けれど以前、エルクディアに抱えられて飛び降りた塔よりは低い。
 大胆にも、シエラはロルケイト城からの脱出を計ろうとしていた。理由は単純だ。このままこの城に滞在していても、否応なくアスラナに帰されてしまう。ライナを、この国に残して。離れてはならない存在だと、アビシュメリナで思い知らされた。だから、なにがあっても迎えに行くつもりだった。
 昨日、レンツォがあの部屋から出ていったあと、シエラはエルクディアに言ったのだ。なんとしてでもこの国に残り、ライナとシルディを助けなければならない。妙な疑いをかけられているのなら、それを晴らさなければいけない。
 今すぐに動く必要がある。即刻この城を出よう、と。
 だが、彼は難しい顔をしたまま、あろうことか首を横に振ったのだ。

『まだ動くな。俺達にはどうしようもできない』

 失望した。
 友人一つ助けられなくて、なにが騎士だ。今夜は戻ってくるなと言い捨てて、シエラは与えられた部屋に篭もって脱出計画を練ったのだ。
 テラスからでは、人目に付きやすい。だが、風呂場に通じている廊下の出窓からならば、誰にも見つからずに抜け出せそうだった。
 その晩、エルクディアは本当に戻ってこなかった。好都合だ。シエラはシーツを裂き、それを結んでいくという単調な作業を繰り返しながら夜を明かした。

「……テュール、ライナのもとへ案内してくれるか」

 小竜は困ったように、きゅうと鳴いた。

「大丈夫だ。お前は伝説の時渡りの竜で、私は神の後継者だぞ。――なにも怖いものなど、ない」

 だから大丈夫だと自分に言い聞かせ、シエラは窓枠に足をかける。
 半身を外に投げ出したところで、背後でわざとらしいノックが響いた。

「――本日は随分と早いお目覚めで。お外になにかご用事ですか、シエラ様」
「エルク!?」

 壁に背を預けて冷ややかにこちらを眺めていたエルクディアが、ため息混じりにやってきてシエラをひょいと抱え降ろす。
 テュールは「だから言ったのに」とでも言いたげに一鳴きして、エルクディアの頭に飛び移った。



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