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 そして、夜が明けた。


「……リース、逃げよう」

 唐突に吐き出された一言に、リースは思考が追いつかなかった。
 病室で目が覚めて、数日経ったある朝のことだった。アビシュメリナでの戦闘で受けた傷は、治療の甲斐もあってほとんどが癒えている。時折ずくずくと痛むが、あと三日もすれば動けるだろう。
 回復の様子を見て、病室は騎士館内にある医務室へと移された。理由は考えなくても分かる。王宮内よりも、騎士館内の病室の方が、罪禍の聖人を監視するにはお誂え向きだからだ。なにかあれば、屈強な騎士達がすぐさま周囲を取り囲むだろう。
 王宮内にあった病室よりも、そこは幾分か質素で、寝台も簡易なものだった。床には黒い染みがあちこちに残っている。柱には剣でつけたような傷もあった。
 リースの様子を見ていた老医師の代わりに、王都騎士団の十二番隊の隊長を名乗る男が顔を出したのも、つい先日の話だ。なにかあればすぐに呼ぶようラヴァリルに告げ、彼は白い軍服を翻して出ていった。
 医者でさえ騎士がやってくるこの場所で、今ラヴァリルはなんと言ったのだろう。彼女は器用に林檎の皮を剥きながら、声を潜めた。

「逃げよう、リース。あたしね、リースが戻ってきてから――ううん、戻されてから、ずっと一人で動けてないの。こっそりだったり、なにか理由をつけて堂々だったりいろいろだけど、絶対に誰かがあたしの傍にいる。……見張られてるんだよ、リース」
「…………今更だろうが」

 自分達は魔導師だ。ただでさえ聖職者が優遇される世の中だ。そんな中、聖職者の総本山とも言えるこの城に乗り込んできたのだから、ある程度の監視は予想の範疇内だった。
 それも半ば強引にやってきた。怪しまれて当然だ。天井をぶち破って現れたことを、忘れるわけがない。あれだけのことをしでかしたのだから、警戒されなければおかしい。
 それでも彼女は首を振る。違う、と何度もうわ言のように繰り返した。
 
「違う。今までとは、違うの。……だって、その……、ばれた、ん、だよね?」

 ずくり。左胸の痛みに、リースはほっとした。
 喰い破られるような右胸の痛みはない。そんな安堵をよそに、ラヴァリルは唇を震わせる。

「ユーリさんは気づいてる。あの人は……へらへら笑ってても、きっと、どんなことだって、してみせる。兵を動かすことだってためらわない。だからリース、逃げるには今しかないんだよ! 学園に対して、どんな理由で攻めてくるか……! あたし達が……、そう、そうだよ、あたし達が、枷になっちゃダメなんだよ!」

 「まだなんにも終わってないのに!」ラヴァリルが咽ぶ。
 ラヴァリルは毎日、リースの見舞いにやってきていた。ほとんど一日中傍らに寄り添っていたが、無論、そうでないときもある。
 そのときの彼女がなにをしていたかなど、リースには分かるはずもなかった。
 今、医務室には、リースとラヴァリルの二人しかいない。他の寝台は空いている。医者の姿も見えない。不思議なことに、今は見張られていないらしい。

「……奴が気づいているとしても、今俺達がこの城を抜け出すことによって、奴らに攻め入る隙を与えることになりかねない。その情報の確実性だって怪しいだろう」
「確かだよ! ……確か、なの。あたし、リースがいない間にいろいろ調べたんだけど、たぶん、もう十分だと思う。これだけの情報があったらきっと、あの人は動ける。もっとつっこんだ内容のが欲しかったけど、さすがに提供者がいなかったし……」

 どうやって、と聞こうとして、やめた。あまりにも馬鹿げた問いだ。
 ほんの一瞬、目の前の女が哀れに思えた。それに気がついたのか、ラヴァリルが微笑む。

「ねえリース、あたし、かわいい?」



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