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 神の子、奇跡の子と呼ばれる、この世にたった一人の神の後継者。
 人の身でありながら、やがて人を超える存在とされている。いつそうなるのか、どうすれば神を継げるのか、伝説には記されていない。『時が満ちれば――』どの伝承にも、そう書かれている曖昧な存在だ。誰もその詳細を知らない。かつての神の後継者を目にした人間は、誰一人としていない。
 レンツォの言葉が、思いがけず刃となって突き刺さった。自分は本当に、人間か。彼や、エルクディアや、ライナと同じ、人間なのだろうか。同じものを食べ、同じものを飲み、同じ空気を吸っては吐き、排泄し、眠り、起き、歩いている。怒りもすれば、笑いもするし、悲しみもする。罪悪感や劣等感といった、複雑な感情さえ持っている。
 それでも、言葉が詰まった。蒼い髪が視界の端で揺れる。床に散らばったガラス片に目を落とすと、金の双眸と目が合った。
 お前は、この世にたった一人の、奇跡の色と力を持って生まれたんだよ。いつだったか、そう言われた。
 たった一人だ。
 他に誰も、シエラと同じ色を持っていない。
 それは奇跡と呼ばれている。
 けれど、それは本当に奇跡なのだろうか。

「わっ、私、は……」

 歯の音が震えた。呼吸が乱れる。蒼い髪が見えた。途端に掻き毟りたくなった。胸元でロザリオが揺れる。青い石がきらりと光っている。
 レンツォはまっすぐにシエラを見つめてくる。ありがちな、けれど透き通った灰色の双眸だ。赤い髪だって珍しくない。小さな、本当に小さな微笑を零して、彼は首を傾げる。 

「それとも崇高な神の後継者様は、異形(いぎょう)とは、呼ばれ慣れておりませんか?」
「ッ……!」
「それ以上の侮辱は、おやめいただきたい!」

 シエラが息を呑んだ瞬間、膨れ上がる殺気と共に、腹の底から吐き出された怒声が室内を満たした。びり、と鼓膜が痛みを伴って震える。
 迷惑そうに眉を寄せたレンツォが、割れたせいでびゅうびゅうと風の吹き込む窓辺に立った。潮風に煽られた薔薇色の髪の向こう、横顔からちらと覗く彼の目が、つ、と細められる。

「勘違いなさっているようですから、言っておきます。――私はこれでも、怒っていますよ」

 表情の乏しい男の顔に、初めて感情が浮かんでいるような気がした。
 戻ってきたレンツォの顔には、先ほどのように腹の読めない、横柄さを隠そうともしない鉄面皮が張り付いている。何事もなかったかのように彼は侍女を呼びつけ、部屋を掃除するように命じた。
 そして隣室へと促されたシエラ達は、中央に小さな池が設けられた部屋で、再び腰を据えることとなった。




「どうせすぐにお帰りいただきますから、茶は不要でしょう」

 目の前のテーブルに、空のティーカップが四脚並べられた。

「飲みたければ勝手にどうぞ。おすすめはしませんが」
「は?」

 茶は不要だと言ったはずのレンツォは、自らの前に置いたカップにのみ、淹れたての紅茶を注いだ。それだけではない。シエラとエルクディアに出されたカップと、残りの二つのカップは、明らかに値段の異なるものだった。
 中でも最も高級そうなカップは、テーブルの中央に、空のまま置かれている。
 これは新手の侮辱なのか。テュールの分を含め四脚用意しておきながら、自分にしか茶を淹れないとは、根性がねじ曲がっているのにもほどがある。
 隣に座るエルクディアは、相変わらずなにも言わない。ただじっと、空のカップを見つめているだけだ。

「あなた方には、船を手配いたします。明日の午後の便でよろしいですか? それでとっととお国へお帰り下さい。――そして、ライナ・メイデンのことで文句がおありなら、あなた方のようなずぶの素人ではなく、外交の専門知識を持った、お偉いジジイ共にお越しいただけると助かります」

 誰の前にも置かれていない、中央の高級そうなカップに紅茶を注ぎ、レンツォは淡々と言った。

「船など必要ない。私は、まだこの国でライナを探す」
「――躾の行き届いていない小娘は、歯の間に挟まった小骨とよく似ていますね」

 からん。
 澄んだ音を立てて、シエラの目の前のカップに、角砂糖が一つ落とされた。



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