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 腰紐に手をかけ、チェインブレードを構えようとするクレメンティアをやんわりと制した。もう片方の手で、彼女の腰に提げたポーチを軽く叩く。中に潜んでいるのは小さな竜だ。言わんとすることは、それだけで伝わったはずだ。

「ええっと、断ったら僕達、どうなっちゃうのかな?」
「なんとしてでもご同行いただくようにと、仰せつかっております」

 一斉に顔を覗かせた刃の気配に、シルディの顔が一気に青ざめる。もう笑うしかない。「やっぱりベタだ」周囲を取り囲む兵士が、じりじりと近づいてくる。
 そのうちの一人が、シルディの顔ほどはあろうかという大きな手で、乱暴にクレメンティアの腕を掴もうとした。

「――やめて。そればっかりは、さすがに許せない」

 響いた音は大きかった。払いのけた手は、こちらの方がじんじんと痛むほど逞しいものだった。
 交渉役らしい男がくつりと笑う。

「仲がよろしいことで、なによりです」
「……君達もいつの間に仲良くなったの? その軍服、ヴォーツ兵団のものだよね。うちとは合同演習の機会もそんなになかったはずだけど」
「王子のご記憶に残ることができて、まことに嬉しゅうございます」
「道すがらゆっくり聞かせてくれる――、わけはないか。……ねえ、これはどう解釈すればいいのかな」

 鮫を象った徽章が、軍服の襟で輝いている。
 シルディ達の元護衛の襟には、イルカを象ったものがついているはずだ。
 いつからイルカの群に、鮫が泳いでいたのだろう。ヴォーツ兵団は、ヴォーツ城のあるツウィ地方を本拠地としている、ホーリーでも最強を誇る軍隊だ。
 ――歴史のディルート、知のタルネット。武を極めるはツウィの民。
 武人でもないシルディが、たやすく振り切れる相手ではない。この状態で逃げ出そうとすれば、無事ではすまない。
 もし仮に、今この場を逃げきることができたとしても、状況が好転したとは言えないのだ。

「さあ、こちらへ、シルディ王子。穏やかな生活をなさっていた王子にとって、我らの小さな船では乗り心地は悪いでしょうが、どうぞお許しを」
「ツウィに行くの? それともテティスかな。どっちにしたって、嫌な予感しかしないけど」
「お二方の罪に裁きを下されるのは、我が主に他なりません。今はなにも考えず、どうかこちらにてご乗船を」

 港から少し離れた入り江に案内され、乗り込むよう促されたのは漁船よりもやや大きな商船だった。旅船ではない。正式なツウィからの船と思われては困る理由でもあるらしい。
 船へ乗り込む階段を上がっている途中、クレメンティアが足を踏み外してよろめいた。小さな叫び声に、兵士の一人が下卑た言葉でなじる。羞恥に俯く彼女の腰を、シルディはそっと下から支えた。
 ぶわ、と皮膚を切り裂くような風が、二人の間を駆けていく。
 押し込まれた船室は、ほぼ倉庫と呼んでいいような場所だった。すえたにおいのする荷物の間に、二人は小さくなって座るはめになった。縛られていないのは、肩書きゆえか。
 狭い船室には、窓と出入り口のすべてに見張りの兵士が置かれている。逃げ出すことはおろか、少しでもおかしな動きをすれば容赦はしないということなのだろう。

「…………ごめんね、巻き込んで」

 小声の謝罪にさえ、見張りがぎろりと視線を寄越す。一言一句漏らさずに、聞き耳を立てるつもりらしい。

「……本当にごめんね、クレメンティア」

 もしも彼女がただのライナ・メイデンであったなら、こんなことにはならなかっただろうに。

「本当に、最悪の展開ですね。……まさかこんなに早いだなんて」

 予想はしていた。彼女はライナであり、クレメンティアだったから。
 彼女がクレメンティアである限り、こうなることは可能性として存在していた。
 だが、彼女の言うように、こんなに早いとは思ってもいなかった。
 残してきたシエラ達が気になる。ロルケイト城には一体どういう報告がなされるのだろう。レンツォならば、うまく対応してくれるのだろうが、それにしたって時期が悪すぎる。

「……それとも、この機会を待ってたの?」

 なにが「それとも」なのか分からないだろうに、すぐ近くの窓の前に立つ兵士がにやりと笑った。
 彼の軍服には、イルカを象った徽章がつけられている。


 逃げたところで、状況は好転しない。
 ツウィ地方を治めるヴォーツ城城主は、ベラリオ・ラティエ。


 王位継承権を持つ、ホーリー王国の第二王子その人だ。


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