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 不思議な男だった。

 颯爽と現れ、理由もなくシエラを助けて去っていった長身の男。これだけを聞くと物語に出てくる英雄のようだが、あとから聞いた話によれば、どうやらあの男は食い逃げ犯らしい。
 ロルケイト城に戻ってきてから、お喋り好きな侍女達が、聞いてもいないのに話してくれた。
 今日の昼、港で異国人の男が、魚の串焼きを十八本も平らげてとんずらしたのだと。見慣れない出で立ちの、長身の男。
 それを聞いて、すぐにぴんときた。あの男からは確かに魚のにおいがしたし、追われているとも言っていた。命の恩人と呼ぶべき人物が食い逃げ犯だったとは、なんとも微妙な気持ちになる。
 ため息をついたシエラの頬を、夜風が撫でる。庭に灯された明かりは、テラスに立つシエラを誘うように揺れていた。
 中途半端に短くなった顔の横の髪をたぐり寄せて、いっそ全体的に短く切ってしまおうかと考えた。しかし、幼少のみぎりから、耳にたこができるほどしつこく言われたことを思い出して、苦虫を噛み潰す。
 この世界でたった一人しか持って生まれない、蒼い髪。
 そこには尋常ならざる神気が宿り、その者の力となる。だから容易に切ってはならぬと、何度も何度も聞かされた。
 「尋常ならざる神気」のくだりが真実かどうかは分からないが、聖職者の力を髪の毛が宿すのは事実だ。
 だから今回も、その場に聖水をかけて神気を消さなければならなかった。神気の残滓によって、もう一度魔物を引き寄せるわけにはいかないからだ。

「……魔物とは、一体なんなのだろうな」

 自分がなにを相手に戦えばいいのか、よく分からない。
 どうすれば終わりなのか、考えるのが怖い。
 独り言を漏らしたシエラを気遣うように、テュールが頬を舐めた。美しい小竜は、撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
 動物と、幻獣と、魔物。それらの境界線はどこなのだろうか。魔族と人間、そして神族の境界線は?
 シエラはアスラナを発つ前に、そんな質問をした。

 ユーリは考えるなと言った。意味のないことだから、考えても無駄だと。
 ライナは魔気があるかないか、神気があるかないかの違いだと言った。周囲に仇なすかどうかの違いだとも。
 ラヴァリルは笑った。そんなことは、本人がどう思うかの違いだと。
 リースは答えなかった。鼻で笑うだけだった。
 エルクディアは、自分は人間を相手にするのが専門だから、その質問はちょっと難しいと言った。
 考えても意味のないことならば、なぜ人は人間と異なる姿のものを見て、それを動物や魔物というように区別していくのか。
 特殊な力のあるなしならば、それを感じ取れない者にとって、区別は意味のないものではないのか。周囲に仇をなすとはどういうことか。木を切り倒し、鳥の首を折って食べる人間は、周囲に仇をなしていないのか。
 結局のところ、ラヴァリルの言うとおりなのかもしれない。線引きをしているのは意思を持った『自分』達で、それが寄り集まってその種の常識などを作り出す。
 神は自分達を神族と名乗った。言を発する魔物は、自らを魔族と言った。名乗らない者には、意思あるもの、言葉を持つものが名をつけた。

 考えれば考えるほど訳が分からなくなって、シエラはぐしゃりと髪を掻き混ぜる。
 風呂を出てすぐに、侍女達に塗りたくられた紫睡蓮の香油が、ふわりと香った。
 妙に気取るわけでも、媚びを売るわけでもなく、おっとりとしながらも好きなようにはしゃいでいた彼女達は、シエラの首筋にまで余った香油を塗り広げた。
 おかげでシエラの体からは、少しでも身じろいだだけで紫睡蓮の香りが漂っている。
 夜にしか咲かない紫睡蓮から採れる香油は貴重なもので、深く甘い香りが特徴だ。あとに残るような甘さではなく、一瞬香ってぷつりと途切れる。けれどしっかりと印象には残るので、もう一度嗅ぎたくなって引き寄せられる――それが売りなのだと、侍女達は声を揃えていた。
 特に未婚の女性に人気の香油らしいが、シエラはてんで興味がなかった。

 こういった花の香りは、自分よりもライナの方が似合うだろう。



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