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「よーう、なにしてんだ?」
ぷんと汗のにおいが鼻を突いた。同時にきつい酒のにおいも鼻先を掠め、レンツォは盛大に顔をしかめる。
視線だけ寄越せば、がさつな熊男が上機嫌で肩に大剣を担いでいた。今し方レンツォが見上げていたテラスを見て、フェリクスが「ああ……」と目を細める。
呆れと愛しさがない交ぜになった視線だった。何度も立ち上がろうとして失敗する子鹿を見つめるそれのような、もどかしくなるような感情を宿した眼差しだ。このような荒々しい外見の男には、到底似合わない。
テラスから一つ、影が消えた。残ったのは小柄な方だ。見えなくなったもう一人は、きっと部屋に戻るのだろう。
「すみませんね、うちの馬鹿が迷惑かけちまって」
「まったくです。強いて言うなら、あなたの存在が最も迷惑ですが」
「おっと。そりゃひでーや」
一応フェリクスもアスラナからの使者だが、彼を客人ともてなすように言われていない。そもそも彼は、リース・シャイリーを国に戻すためだけにやって来たはずだ。
さっさと帰れむさ苦しい。ここまでがたいのいい武人に並ばれると、息苦しくて仕方がない。普段親しい武官が女性ということもあり、なおさらだ。
「明日の朝、この城を発ちますわ。お世話になりました」
「それはそれは。では、船の手配を致しましょうか」
「いんや、お気遣いなく。そーゆーんはコッチでやりますんで」
「城を出たあとは、観光でも?」
フェリクスの目がきらりと光った。
「ああ、そうさせてもらいやしょうかね。一通り楽しんだら、すーぐ帰りますんで。なにしろ俺も暇人じゃないんでねェ」
だらしなく肩に羽織った軍服が風に揺れる。無精ひげを撫でさすり、レンツォより一回り以上大きな男は豪快に笑った。
きらり。月明かりを反射させたのは、大蛇とそれを従えた男が象られた徽章だ。
アスラナ王国、王都騎士団十番隊アスクレピオス。力自慢が集まる隊で、先陣を切ることが多いと聞く。その部隊の隊長がわざわざ迎えに来るほど、リース・シャイリーは危険視されているのだろうか。
一通り考えて、否と結論づける。
だとしたらこの男の――、その背後にある、アスラナの目的は、なにか。
「あまり甘やかしていると、ぐっずぐずの駄目人間になりますよ」
「あー……、そりゃあ、お互い様ってやつだろ」
「うちの王子は馬鹿ですが、駄目人間ではないのであしからず」
「そりゃアンタ、厳しそうだもんなァ」
「うちの子は根っこがしっかりしていますから。ときには私がなにを言っても、頑なにそれを聞き入れないクソ生意気な真似もしでかしやがりますが。足りないところだらけですが、自分の歩いてる道くらい、自分でちゃんと分かってらっしゃいます」
フェリクスは困りきった様子で頭を掻いた。
「アイツが分かってねェとでも?」
「さて。それは私の知ったこっちゃありません。まともに顔を合わせて喋ってもいない相手のことなんて、分かりやしませんので。ですが、少なくとも……」
レンツォはテラスを見上げた。
すると、小柄な影がひらりと手を振る。
「大国の騎士長であれば、我々の存在くらい気がついて当然かと」
フェリクスは一言「勘弁してくれや」とだけ呟いて、レンツォに背を向けた。