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 ロルケイト城で最も広い執務室から出てきたレンツォ・ウィズは、向こうから駆けてくる人影を見てその足を止めた。
 相手もレンツォの存在に気がついたのか、はっとして一瞬立ち止まり、またすぐに歩きだした。俯いて早足で脇を通り過ぎようとしているところを見ると、どうやら構われたくはないらしい。
 頭一つ分小さな娘。女性というにはまだ幼いが、少女というには子供らしさがない。すれ違いざま、頭を下げるふりをして顔を覗き込めば、その大きな瞳は真っ赤に充血し、眦には涙が浮かんでいた。

「誰ぞと喧嘩でもなさいましたか?」

 異国からの客人はなにも答えない。
 レンツォはくるりと踵を返すと、涙を浮かべながらその場を去ろうとする彼女のあとをついていった。無遠慮にぽんぽんと呼びかける。よほどの仲ではない限り、彼の行動は非常識極まりないものだろう。
 けれど、それがレンツォだ。変人で変態、遠慮や容赦という概念を母親の腹にごっそり置き忘れてきた男、レンツォ・ウィズ。その存在は、ホーリー国中に知れ渡っている。

「……なにかご用ですか」

 螺旋階段に差し掛かったところで、ようやっと彼女が口を開いた。震えた声には今にも嗚咽が混じりそうだ。

「随分とピリピリなさっていますね、クレメンティア様。アノ日ですか」
「ライナです。ここの文官は、随分と礼儀知らずなんですね」
「すでに見知った間柄にも関わらず、知らぬふりを通すお嬢様よりは、礼をわきまえていると思いますが」
「………………」

 ライナ・メイデンと名乗る娘は、ぎっと目力を強める。確かにその名前は間違ってはいない。けれど彼女の名は、クレメンティアが本来のそれであるはずだ。
 それになにより、レンツォにとって、彼女の名はそうでなければ意味がない。

「なぜ、真実を告げられないので?」
「貴方には関係ありません」
「ええ、確かにあなたの事情は、私にはなんの関係もありません。ですが、ファイエルジンガー家ご長女様の抱える問題は、当ラティエ家にとって無関係とは言い難いのですよ」

 かつり。
 クレメンティアが螺旋階段に一歩足をかけた。この階段を上った先に、彼女達に用意した客室がある。どれもホーリーの意匠を凝らしたもので、神の後継者に与えたのは水の間の細工がどこよりも美しい部屋だ。
 一人一部屋にしようかと申し出たのだが、騎士も含めて三人一部屋でいいと言われてしまった。護衛の面から見ればその方がより安全だろうし、部屋の広さもまったく問題はない。
 しかし、今の彼女は、あのとき部屋を分けてもらっていれば――と、少なからず思っているはずだ。
 二段ほど上って、彼女は充血した目でレンツォを睨みつけた。

「……相変わらず、いい性格してらっしゃいますね」
「いいえ、あなたには敵いません。逃げてばかりの、か弱いお嬢様」

 深く一礼してその場を去る。
 言いたいことは言ったし、特に必要そうな情報はなかった。ならばもう、彼女に用はない。
 レンツォってほんと、レンツォだよね。彼の仕える王子は、よくそんなことを言う。自分は自分であり、それ以外の何者でもない。「そんな分かりきったことを」と返すと、決まって王子は苦笑した。羨ましいなあ。いったい王子がなにを羨んでいるのか、彼にはいまいち理解ができない。
 レンツォはどうしようかと思案して、兵士の鍛錬場を目指した。長い回廊を渡り、砂利道を抜ける。途中、中庭の辺りで声が聞こえた。
 ふと見上げると、テラスで二人の男が佇んでいるのが見えた。一人は彼の仕える王子その人で、もう一人がアスラナの騎士だ。
 会話は聞こえない。向こうもこちらの存在に気づいていないようだ。
 満天の星空の下で、あの二人はなにをやっているのか。一部の侍女達が大喜びするような展開になるのではないかと、若干面白がりながらテラスを見上げていると、後ろから強い力で肩を叩かれた。


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