3 [ 268/682 ]


「スグです、スグ。お嬢さん、絵を、スグ、血で、スグ。美しい、赤、スグ、蒼い、甘美、スグ。スグスグスグスグスグスグスグっ!!!」

 狂った笑声と同時に、短剣が振り上げられる。

「やめっ――、エルクッ!!」

 ざ、と嫌な音が耳元で聞こえ、うっすらと目を開けた先で蒼い髪が散るのを見た。少し身じろぐと、カラン、と小さな金属音が響き、筒状の髪飾りが地面を転がっていく。
 男が首を傾げている。どうやら目測を誤ったらしい。そこで急激に、体の感覚がよみがえってきた。
 怯えて震えている場合ではない。助けを求めた騎士のもとを離れたのは、他ならぬ自分だ。自分の身は自分で守らなくては。
 生まれたての子鹿のような足取りで立ち上がり、シエラは壁に手をつき走り始めた。それが走ると言える速度とはほど遠いにしても、ゆらりゆらりと歩を進める男から距離を取ることはできた。

「待って、描かせて、スグ、絵を。スグです、お嬢さん、血を、聖なる、絵を、スグ。待って、待って、待って、待って、待って、待って」

 片足を引きずりながら、男は次第に速度を上げていく。ずりずりという音でそれを感じていたシエラは、泣きそうになりながらも賢明に大通りを目指した。
 一部だけ中途半端に短くなった髪が、現実をしらしめるように頬をくすぐる。
 闇雲に振り回される短剣が風を切り、それが段々と近づいてくるのがなによりも恐ろしい。
 ――なにが神の後継者だ。どこが強い力を持つ者だ。なんの力も持っていない人間相手に、これっぽっちも敵わないではないか。

「待って待って待って待って血を待ってスグですスグスグ待ってスグ血を絵を描かせてスグ! ほら! 捕まえた!」
「ひあっ!! やっ、はなせっ、離せっ!」
「捕まえた大丈夫ですスグですスグ。お嬢さん、スグです。アナタの血は、スグです、美しい絵になる、スグですあっと言う間です!」
「嫌だっ、やめろっ! 誰かっ……エルクっ、ライナ!」
「血を! スグ! 甘美な血を!」

 後ろから羽交い締めにしていた男の腕が、短剣の向きを変えた。シエラの細首に、腐ったような吐息が触れる。
 心臓に狙いを定めた短剣が、まっすぐに突き立てられる。
 その瞬間、シエラの体は強い衝撃を受けて、地面に倒れ込んだ。

「ぐぅあっ!」
「――っと、わり、当たったか? 怪我はねえか、嬢ちゃん」

 突然降ってきた声は、覚えのあるものではない。
 肋骨が邪魔だと言わんばかりに脈打つ心臓を押さえ、抜けきらない恐怖に震えていたシエラの腕が、半ば強引に引かれた。
 危ねえから下がってろ。訳が分からないまま立たされて、後ろに追いやられる。またしても座り込んでしまったシエラが見たものは、あっと言う間にのされた男の姿だった。
 もちろん、気を失って倒れているのは、シエラに襲いかかった男の方だ。殴る蹴るという簡単な体術だけで男を沈めた彼が、外套についた埃を払いながらやってくる。

「落ちてたぞ。嬢ちゃんのか?」

 ほら、と筒状の髪飾りが手渡される。本物の宝石が使われているのか、それとも偽物なのか、未だに分からないそれは、大切な姉の形見だ。
 呆然としたまま受け取って、シエラはそれをいつもとは反対の側につけた。慣れない重さに、ぴり、と頭皮が痛む。



[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -