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 中心にそびえ立つ時計塔を正面にした際、東側に広がる庭園が花の宮。
 西側に広がる庭園が、まるで迷路のように仕掛けの施された薔薇園だ。
 ともすれば迷いそうなほど広い花の宮は――それは花の宮に限らず、この城のどの場所でも言えることだが――、アスラナ城の玄関口として薔薇園と文字通り並んで人気の場である。
 その名に相応しい数多くの花が咲き乱れ、しつこすぎない甘い香りを誘うように放っている。花壇の小道が小さな池まで伸びており、池の中には愛らしい天使像が置かれていた。

 シエラ達がやってきたのは、花の小道を抜けたさらに奥の場所だった。
 小さな教会のような建物は、壁がすべてガラス張りになっており、差し込んでくる光を乱反射させてはシエラ達に降り注いでいる。
 足元に咲き乱れる花々が熱を吸収して温度を下げているが、真夏にはあまり訪れたくはない場所だ。
 一見温室のようにも見えるこの建物の中は小鳥のさえずりが美しく反響し、まるで森の中にいるような錯覚を彼女に植え付けた。
 蒼い髪を輝かせるように、陽光は惜しみなく彼女を照らす。
 その光に負けない金の双眸がエルクディアを捉えたとき、彼は諦めの境地に立たされた。

「さっさと説明しろ。先ほどの話の続きを」

 ぎろりとねめつけて低く問いただせば、エルクディアの目がふよふよと宙を彷徨ってシエラの肩口に落ちる。
 しばらく沈黙していた彼だったが、どうしようもないと悟ったのだろう。一度頬を気まずそうに掻いてから、覚悟を決めたように重たい口を開いた。

「儀式として、神の後継者の披露会がある。貴族や民をこの城に招き、後継者の浄化を受けた水を皆で飲んで――まあ、そのあとは晩餐会みたいなものになる」
「それに出ろと?」
「ああ。急なことで悪いとは思ってる。だけどこればっかりは決められていた儀式だから、どうしようもないんだよ」

 なるほどな、と呟いて頷いたシエラは、足元に転がっていた小石をこつんと蹴り飛ばした。石畳を跳ねるように転がっていく小さな石を見ながら、彼女は眠たそうに目を擦る。
 どこか期待した目で見つめてくるエルクディアの視線を感じながら、彼女はくあ、と込み上げてきた欠伸を噛み殺した。
 何千年も昔から決められてきた、古の儀式。
 伝説だと一蹴された時代もあったが、魔物が横行し、神の後継者が現れるということが現実となってしまった今ではそれを実行するより他に方法はない。
 古文書に残された記述によれば、神の後継者が聖杯に汲んだ水を浄化し、自ら聖水へと変えて皆に振舞うのだという。
 それをひとたび口にすれば血が浄化され、魔物を寄せ付けにくくなるらしい。
 真実か否かは判断つきかねるが、それを行うことによって人々の心に安心感が生まれるのは確かなことだ。
 これから魔物との長き戦いを繰り広げるに当たって、決意を固めるためには十分すぎる効果を得ることができるだろう。

「出てくれるよな?」
「そんな面倒なもの、誰が出るか。お前達で勝手にすればいいだろう」
「それは困る! もう民衆にも連絡は行き届いているし、各国の貴族達もこの城に集まりだしてるんだ。俺達の勝手にできることじゃない。シエラ、お前がいなきゃどうにもならないんだよ」
「私は見世物になる気などない」

 衆人環視の中でなにかしてみせるなど、今のシエラにできるはずもなかった。
 そんなことは王都の人間にも当然分かっているはずだ、とひとりごちれば、なおさらそのときの自分の状況が見えてくる。
 すべては形だけなのだろう。力の使い方が分からないばかりか、ロザリオさえ握ったことのない彼女に水の浄化などできるはずもない。
 そう考えていけば行き着く先は、形だけの儀式ということになる。そんなお飾りになるのは、なにがなんでもごめんだった。
 つい、と顔を背けたシエラの横顔に真摯な眼差しが向けられていることなど知らず、彼女は咲き乱れるケリアの花をぼんやりと見つめる。

「見世物になんて、俺がしない」

 耳朶を叩く声音は真剣そのものだ。
 すとんと心に落ちてくるその言葉は、会ってまだ三日と経っていない者にかけられたものだとは到底思えないほどの説得力を持っている。
 これが若くして王都の騎士団を纏める才の片鱗なのだろうか。顔を向けた先にいたエルクディアは、揺るぎない眼差しを真っ直ぐにシエラに注いでいる。
 信用できるか、という自身への問いに彼女は無言を返した。

「どうするつもりだ」
「夜までにはまだ時間がある。その間、ライナや文献に頼ってお飾りにならないよう、お前には頑張ってもらうよ」
「……ちょっと待て。それだと面倒なものがさらに面倒に――」
「なるけど、見世物にはならないだろ?」

 きらきらとした屈託のない笑みは、シエラから反撃の言葉を根こそぎ奪っていってしまった。
 唖然としてエルクディアを見つめていた彼女の頭を、彼の大きな手がするりと撫でる。すべらかな蒼い糸が指先に触れられ、より一層の艶を放った。
 なおも反論しようと開かれた彼女の口は、直前で言葉が見つからずに渋々と閉じられる。その隙を逃すまいと、彼はさらに畳み掛けるように言った。

「なあ、シエラ。お前はなんのためにここに来たんだ? ――綺麗な服着て、贅沢な暮らしをするためか?」
「馬鹿にするな!」

 贅沢な暮らしなど誰が望むものか。あの村で、平凡な変わらぬ日常を過ごすことがなによりも幸せだった。
 欲に眩んでこの王都にやってきたなど、あるはずがない。
 矜持を傷つけられたシエラは顔に朱を散らせて声を荒げるが、エルクディアはそれを見て満足そうに口角を吊り上げた。
 風に煽られてケリアの花が足首をくすぐる。
 新緑の双眸が優しいながらも計算高い色を宿していたのをようやく汲み取った彼女が、しまったと唇を噛むももはや遅い。



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