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 サー・キャットは自らの意思で人型をとることもできるし、幻獣独自の魔法を使うことも可能だ。だが、その能力が最大限に発揮されるのは、彼らが仕えると決めた主の力を借りたときだ。
 通常の呪文とは違い、彼らに力を与える呪文は一見意味を成さないような単語の羅列だ。文章になっていたり、関係した言葉同士をつなげたものでもない。自らが言葉運びを変えることもできない。
 それはある意味、鍵と同じだ。少しでも形状が異なれば、鍵は開かない。すなわち、一言一句間違えることが許されない。
 暗記ものって大嫌いなのよ、と、レイニーは苦笑混じりに自らの髪を撫でつけた。
 銀とは明らかに異なる純白の髪と、ぞっとするほど白いかんばせが露わになる。

「<羽織、ろうそく、竜の牙、猫の足跡、ガラスの指輪、水を飲む女神!>」
「――はァい、よくできマシタ!」

 じゃきん、と音を立てて、スカーティニアの手に鉄の爪を模した装具が現れた。ぐっと握り込んだそれを、押し倒した男の首めがけて一気に突き立てる。
 ざく。明らかに人ではないものの音が、二階にいるレイニーの耳にも届いた。
 身を捩って抵抗する男の腕を文字通り縫い止め、スカーティニアは妖しく唇を舐める。開ききった瞳孔に映っているのは、敵ではなく、もはやただの獲物でしかなかった。

「ドコから食べテ欲シイ? 耳? 目? 口? それとモ……ココ?」

 つ、と誘うような仕草で、鉄の爪が心臓の上を撫でる。レイニーはスカーティニアの揺れる尾を確認して、次の呪文を思い出すべく記憶の糸を手繰り始めた。
 人型をとってもなお、尻尾が出ているのは相当興奮している証拠だ。理性など欠片程度のものだろう。ぶわりと大きく膨らみ、左右に揺れているそれは簡単に鎮められるものではない。

「<鷹の涙、人魚の指先、磁石、水鏡、飾り弓、踊り子の首輪、毒の薔薇!>」

 詠唱が終わると同時に、スカーティニアの背中に大きな翼が生じた。一気に広がったそれは、机の上の薬瓶を容赦なく転がしていく。
 「頼んだわよ、スカー」久しぶりに自分の力を分け与えたせいか、どっと疲れが押し寄せてきた。血も結構な量を流してしまっているから、しばらくは寝台生活が続きそうだ。
 ずるりとその場に座り込んで、レイニーは薄く笑った。階下ではスカーティニアの嘲笑が響いている。

「散々いじめテ、泣き叫ンデ許しを乞うマデ遊んデあげようカと思ッたケド、アンタじゃ意味なさそうネ」

 どれほど強く鉄の爪を食い込まされようが、男は悲鳴一つ上げやしない。首を貫かれてもなお、その生命活動を終わらそうとしないもの相手に、そういったことを期待する方が間違いなのかもしれなかった。
 くつくつと笑いながら、スカーティニアが男の頬に鼻先を擦りつける。

「終わりにしマショ。――サヨナラ、お人形サン」

 形容しがたい音が木霊する。スカーティニアの膝が男の下肢を砕き、鉄の爪が肩から胸をえぐる。装具を投げ捨て、素手を胸の傷口に押し込んだスカーティニアは、指先に当たった冷たいものをしっかりと握り込んだ。
 じたばたと暴れてみせる男は、こうなってしまえばひどく滑稽だった。その力をまざまざと見せつけられていたレイニーからすれば、人型となったスカーティニアの剛力に驚嘆せざるをえない。
 なんでもっと早くその姿に――とは言わない約束だ。だから今回も、思いはしても口にはしない。
 心臓からなにかを抜き出したスカーティニアがそれを握り潰した瞬間、男の体は急激に動きを止め、やがてただの土くれと化していった。

「なにコレ、つまんナイ。もット骨のある奴かと思ッたのニ。……あ、レイニー。もういいワヨ」

 随分と心強い味方だ。
 レイニーは一つため息をついて、足を引きずりつつ階下で「男だったもの」を確認した。
 植えられていた核といい、残った土といい、どうやらこれは魔女が作った傀儡に間違いなさそうだ。意思を持たない土人形。それはそのまま術者の力が反映される。
 相手はけっして弱いわけではなかった。魔物や人間に襲われる心当たりなら腐るほどあるが、同じ魔女に恨まれる覚えはない。人間に汲みした魔女の仕業となれば、話は別であるが。
 なんにせよ、今すぐには答えなど出ない。ひとまず店内の片づけを優先したレイニーは、残り少ない力でゴミを始末しながら、前々から思っていた疑問を投げかけてみた。

「ねえ、スカーって女の子よね?」
「ハ? 今更なにヲ聞くノ?」

 「当たり前じゃナイ」と、スカーティニアが腕を組む。

「……あー、うん、そうよね。じゃあ、だったらなんで、人型のときは……その、男の姿なの?」

 しっかりと筋肉のついた長身は、中性的なわけではない。長い前髪を後ろに流した髪型といい、切れ長の一重の瞳といい、どれをとっても男性的なものばかりだ。
 どちらかといえば屈強な体躯の男の姿をしているのに、飛び出すのはいつものあの口調なのだから違和感を拭えない。
 どうしてと尋ねたレイニーに、スカーティニアは土の塊となった男を外に放り出しながら答えた。

「だッテ、この方がカッコイイじゃナイ」

 レイニーはなにも言うことなく、ただひたすらに今回の件について考えることを決意した。


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