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 突き出した剣身と、それと直角に交わるような槍を併せ持つ武器にも防具にもなる盾を構え、レイニーは外套の頭巾を取り払った。
 真っ白な髪が元素と精霊の渦巻く空間になびく。雨上がりの空を思わせる瞳は、強い光を宿していた。

「アタシ、戦うのは苦手なのよ。……だから、うまく使ってあげられなくても許してちょうだいね、ブニール」

 ブニールと名付けられた盾が、どこか不満そうに剣身から小さな音を立てた。
 扉の奥では、男が強引にこじ開けようとしているらしい。だんだんと激しくなっていく物音に、レイニーの背中を寒気が走る。

「どこの誰かは知らないけれど……、あまり魔女をなめるんじゃない、わよッ!!!」

 怒鳴りつけると同時に床を蹴った。扉は入るときとは違い、レイニーの意思を汲み取って素早く外側に開け放たれる。扉に打たれて体勢を崩した男に向かって、レイニーは呪文を唱えながら突進した。

「我が声、雨音に混じりて無と消える! 我が身、雨滴となりて無と消える! プリュイ・アビテ!!」

 男は剣身が刺さらないよう盾を両腕で突っぱね、レイニーの突進に耐えた。魔法具の力を借りているとはいえ、体重も腕力もないレイニーの攻撃など、男はたやすく退けてしまう。
 ゆえに、彼女は自らが最も得意とする魔法で相手を戦闘不能にすることを試みた。
 それが雨の日だけ使える、憑依魔法だ。
 雨がレイニーに力を与える。意識を研ぎ澄まし、相手の意識と同調させ、自らがそこに溶け込んで乗っ取るのだ。
 一度憑依してしまえば、雨がやんでも三日間は相手の意識と体を意のままに操ることができる。その間、レイニーは体ごとこの世から消失する。呪文の通り、『雨滴となりて無に消える』のだ。
 魔女の力は、使い方によっては可能性は無限大に広がる。
 人間の知能が備わっている分、幻獣よりも遥かに従えやすい。心からの服従でなくとも構わない。恐怖による、一時的なものでも十分だ。
 ようは、思い通りの効果をもたらす力が使えればいいのだから。

 レイニーが魔女だと知ると、その力を自分のものにしようと企む人間など腐るほどいた。数々の襲撃を逃れてこられたのは、彼女の持つこの能力のおかげだった。
 憑依してしまえば、自らの肉体は消える。そうすれば、肉体的な死が訪れることはないし、捕らえられることもない。複数人でやってきたのなら、その中で一番偉そうにしている人間に憑依し、なりすましてさっさと退却を命じる。違和感を覚えられたところで、一番力のある者に逆らう者などそうそういない。
 ――とはいえ、都合よく雨の降る日にばかり襲ってきてくれるわけもない。だからその場合は、溜めておいた雨水に魔法を施し、局地的な雨が降らせるよう、瓶に詰めて常備しておいたものを使うのだ。
 今日もそのためにせっせと自分専用の魔法薬を作っていたのに、さっき男がテーブルに乗ったせいで全部パァだ。
 レイニーは八つ当たりも込めて、男の意識を探った。
 そして二つの意識が重なった瞬間、彼女の体は雨滴となって掻き消える。――はずだった。

「えっ!? ――きゃあああっ!!」

 一瞬その場に浮かび上がった光は、男に届く手前でふっと掻き消えた。その隙に、男が力任せにレイニーを突き飛ばす。壁に沿うように並べられた本棚にしたたかに背中を打ちつけ、彼女は苦しげに咳を漏らした。
 相手を押していたはずの盾が、今は己を拘束する。
 盾ごと壁に本棚に押しつけられ、眼前には外套の頭巾で顔を覆った男が迫っている。肺が圧迫され、呼吸が乱れる。
 苦痛に喘ぐレイニーに、男はなにも言ってこなかった。このまま気絶させ、どこかへ連れ去るつもりだろうか。

「アン、タ、ほんっとに……ヒ、ト?」

 切れ切れになりながらも、レイニーは思ったことを素直に口にした。
 制御されきったような動きに、どうしても人間的な要素が感じられない。それにこの力。筋骨隆々とした兵士ならばまだしも、この程度の体格の男にこれほどの力があるとも思えない。
 男は盾と本棚の間にレイニーを挟んだまま、盾の両脇を掴んで上に持ち上げていく。内側で取っ手を掴んだままだった彼女の体は、必然的に盾に合わせて持ち上げられることになった。
 背中に本棚の凹凸が擦りつけられる。背骨を削り取られるような痛みと、より一層の圧迫感に肺が潰れてしまいそうだ。

「ぐぁっ……うああああああああああ!!」

 突如足を襲った痛みにレイニーは悲鳴を上げたつもりでいた。しかしそれはほとんど音にはなっておらず、引きつれるような喉の震えだけを彼女に与える。
 じたばたと虫のようにもがく足は、もはや地についてはいない。透けるような白い右足に伝う鮮血が、ぞっとするほどに美しかった。男ならば、その危うい淫美さを持つ光景に息を呑んだことだろう。



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