2 [ 257/682 ]


 水に愛されたホーリー王国において、聖水を生み出す水資源に困ることはない。ライナと共に作った聖水は教会にかなりの量を置いた。もしもなにかあれば、教会に逃げ込んだ人々を守るには十分の量だろう。
 結界の補強もライナが施し、これで教会への用は済んだ。人魚の壁画に別れを告げ、シルディの言う「地道な外回り」をしている今現在、シエラはエルクディアとたった二人で寂しげな海の町を歩いていた。
 それもこれも、シルディが突然言い出した我儘のせいだ。むしろ無茶と言うべきかもしれないが。

 四人一組では効率が悪いというところまではよかった。ならば、ディルートの兵士を足せばいいというライナの意見に、彼は首を横に振る。
 神官三人と兵士五人を一組にし、もうすでに複数人を使って調査を進めているという。もうすでに兵士を割いているのだから、これ以上の増員は望めない。
 だとしたら、こちらが四人で固まっていても十分ではないか。これを言ったのはエルクディアだ。しかし、シルディはまたしても頷こうとはしなかった。
 ディルートの神官はアスラナと違い、研ぎ澄まされた感覚を持つ者は少ない。普段魔物と相対することがないため、仕事といえば教会で祈りを捧げたり聖水を作る程度で、実践など夢のまた夢だ。だから、よりはっきりと魔気を感じ取れるシエラとライナが二手に分かれた方がいい。
 護衛の問題が出てくると説得を試みるエルクディアに、シルディはぽえっという擬音がつきそうな笑顔で言った。「それはエルクくんがいるから大丈夫でしょ?」それでも心配なら、と彼がフェリクスの名を出すと、途端にエルクディアの表情が凍り付いた。
 そして結局、首を縦に振ったのはこちら側になったというわけだ。

「……『まずは観光気分で』か。あれを見たあとで、よくあんなことが言えたな」

 それに、ライナとシルディだけでは肝心の祓魔師がいないから、圧倒的に不利だ。あのときはエルクディアの物言わぬ気迫に押されてそこまで考えが及ばなかったが、今となっては問題ばかりが目に付く。
 シエラ達に見回る道を指示したあと、シルディが言った言葉を思い出す。

『フキンシンだけど、まずは観光気分で見て回って。あのね、シエラちゃんには、ただ与えられた役目を果たすための舞台じゃなくて、僕達が生きる世界としてこの国を知ってほしいんだ。ホーリーの民として、心からそう思う』

 この国の王子として、それ以前に人として、現在の状況を知った上で観光気分などという言葉を出すことは、許されることなのだろうか。
 むう、と唇を尖らせたシエラを、エルクディアはちらと横目で見下ろした。そんな彼を見上げて、シエラはどうしたものかと思案する。
 なにかが自分達の中で変化してきている。以前のようにはいられない。それが具体的にどういうことなのか分からないまでも、なんとなくシエラは感じ取っていた。
 しかしそれとは別に――否、そのことも関係しているのかもしれないが、気になることがいくつかあった。
 そのうちの一つは、こうしている今もシエラに直接視覚から訴えてくる。

「……エルク。お前、その顔どうしたんだ」

 顔に限らず、手のひらもずるりと擦りむいているようだし、軍服のあちこちに落としきれていない汚れと傷が目立っている。
 唇の端が切れたのか、赤紫色に変色して腫れた口元が痛々しかった。それを言及する暇もなく二手に分かれ、妙な居心地の悪さがあった。ようやっと切り出してみたが、彼は苦笑するばかりで答えようとはしない。

 ディルートの兵士と一手交えでもしたのだろうか。それとも、階段から落ちたのだろうか。
 後者ならば鈍くさいにもほどがある――と、本人が聞いたら嘆きそうな理由付けを胸中でし、シエラはとことことエルクディアの隣をついていった。

「地図によるとこの辺りだな。そこの路地を左に行った先が、ペイモラの港町らしい」
「あまり城から離れていないな。馬車が必要ないと言っていたのはこのためか?」
「みたいだ。俺達が乗ってきた船が停泊した王都の港に比べたら、小さなところらしい。……ああ、あそこだな。青い屋根の大きな建物が目印だと仰っていたから」

 地図で指し示された大きな建物は、丸いケーキの上に乗っている栗のような飾りをつけた青い屋根をしていた。どうやらその建物自体が町区を隔てる門の役割も果たしているらしく、中央が弓の形(アーチ型)にくり貫かれている。
 両脇に立つ兵士達が、シエラ達の姿を見るなり嬉しげに破願して先を促した。
 歩数にしておよそ二十歩ほどの長さを通り抜けた先に広がっていたのは、二人の動きを止めるに十分すぎる光景だった。



[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -