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*第16話


 惜しみなく太陽の光が降りそそぎ、潮風が心地よく頬を打つ町は、人気(ひとけ)もまばらで閑散としていた。
 白い石畳の街道の両脇には白い壁の建物が建ち並び、色とりどりの布屋根で飾る露店の軒先には果物や魚が並べられている。

 しかし、それを売る店主の姿はそこにはない。
 びくびくとした様子の男性が店の中に声をかければ、同じようにびくついた店主が顔を出して金銭のやりとりをする。逃げるように帰った男性の後ろ姿を見送ることもなく、店主は奥に引っ込んでぴしゃりと戸を閉めた。
 どこを見渡しても似たような様子だ。ぐずった子供が外に飛び出すと、血相を変えた母親が羽交い締めにして家に連れ戻している。「化け物に襲われたらどうするんだい!」その大声に驚いて、自由に遊べない子供はさらにわんわんと泣き叫んだ。
 これが今のディルートだ。シエラは記憶に残っているディルートの町と今の町を照らし合わせ、あまりの違いに呆然とした。波の音が虚しく響いている。

「……普段はもうちょっと活気に溢れてるんだけど。僕達がアビシュメリナに行っている間に、魔物が市街地まで来てたんだって」

 狭い路地に目を向けたシルディが、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。ほとんど無意識に彼と同じ方に目を向ける。

「まいったなぁ……。報告では聞いてたけど、実際目の当たりにするとこうもつらいんだ?」

 もうほとんど泣き声に近い苦笑が、やけに大きく聞こえた。薄暗い路地から目が離せない。大理石のように冷たい白ではなく、あたたかみのあるはずの白い石畳に、奥から赤黒い染みがぽつぽつと散り、さらにその手前ーー大通りに面した方に向かい、大きな染みが広がっている。
 路地裏で襲われ、大きな通りに逃げようと必死に走ってきたのだろう。そして、逃げることが叶わずそこで力尽きたのだ。そんな最期が想像できてしまえる痕跡に、シエラは喉の奥が引き絞られるような感覚を覚えた。
 水で洗い流しても消えない魔物の爪痕が、この陽気なはずの町のそこら中に残っている。

 ディルートに潜んでいた魔物は、一斉に現れてこの町を襲った。おそらく神の後継者の神気が遠ざかったため、好機とばかりに現れたのだと考えられている。
 目に付く魔物はすべてアスラナが派遣した祓魔師とホーリーの神官で祓魔したが、短時間で植え付けられた恐怖はおいそれと消えてくれるものではない。
 家族が、友人が、恋人が、他人が、目の前で無惨に傷つけられ、奪われていったのだ。鋭い爪で肉を裂き、滴る血に舌を這わせる魔物はどれほどおぞましいものだったろう。
 生きたまま内臓を貪られ、恐怖と苦痛に喘ぐ悲鳴を聞いて歓喜の声を上げる生き物は、どれほど醜いものだったろう。
 魔物は、平和に身を寄せていた人々の心を一気に奈落へと突き落とした。今まで他人事だった魔物の恐怖をその身で味わい、彼らが蔓延る世界に生まれたことを嘆いた。
 
 自分がいれば、少しは状況が変わったのだろうか。
 深い海の底などではなく、人々が生きるこの町にいたのなら、この力で被害を少なくすることくらいできたはずだ。
 いいや、そもそもこの地へ来なければ、魔物の被害はなかったのではないだろうか。

 鬱々とするシエラに、それは違うとシルディは言う。アビシュメリナに行かなければいけない理由があった。魔物はシエラが来る以前から発生していた。運が悪かったと嘆くことはあっても、シエラの責任は皆無だと彼はきっぱり言い切って、人通りの少ない道を臆することなく進んでいく。
 教会を目指しているのだが、そこに近づくにつれて人がぽつぽつと増えているのが感じられた。誰もがシエラとライナの髪色を見るなり、その場に膝をついて祈りを捧げる。

 ――神の使徒よ、どうか我らに慈悲を。

 祈りの声はシエラ達が教会に入り、関係者以外が立ち入ることを許されていない部屋の奥に消えるまで、延々と呪文のように紡がれていた。


+ + +



 教会に、神の後継者がやってきた。
 その噂は瞬く間に広まった。家に籠もっているはずの住人の間でどうやったら噂が広がるのかは分からないが、魔物によって死の町のような雰囲気を漂わせていた人々にとって、神の後継者という存在はまさに救世主であった。
 なんたるかは詳しく知らないが、とにかく偉いのだろう。とにかくすごいのだろう。魔物など、彼女にかかれば一撃で消え去るに違いない。
 不安や警戒心は拭いきれない。外に出るのはまだ怖い。けれど、人々の心には確かな安心感が芽生え始めていた。
 町のどこかで、誰かが言う。


「あんな恐ろしい魔物と戦って下さる聖職者様は、なんとすばらしい方々なんだろう!!」



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