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 どうして彼女が自分付きの護衛になったのかは分からないが、実力はあるのだろう。
 神官だというから、結界や占い、治癒の力に長けているはずだ。
 目の前にいる少女が血や魔物を見慣れているとは想像もできなかったが、自分とは異なる世界にいたのだということくらいはシエラにも理解できた。
 そしてこれからは、自分もその世界に足を踏み込むのだと頭の片隅で誰かが言っている。

「シエラ、どうしました? 着方が分からないのであれば、お手伝いしましょうか?」

 ぼうっとしていた意識を引き戻したのはライナの声だ。覗き込んでくる大きな目に映る己の姿を見て、シエラははっとした。
 いいや、と首を振って問いに答え、ベッドまで戻るとそこに腰掛ける。
 面倒なことになったと思いながら寝着のボタンを外せば、ライナが笑いながら「前と後ろ、注意して下さいね」と言い残して部屋から出て行った。
 子供じゃあるまいし――と内心思っていたシエラが頭からすっぽりとドレスを被ろうとした瞬間、ファスナーのちくりとした感触が額に当たったことは、彼女の中だけの秘密である。


+ + +



 陽光の差し込む窓辺に腰掛け、青年王は鍛錬場で剣を振るう兵士達を見て表情を緩める。
 吹き込む風はまだ冷えているが、春を告げる甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
 なんの花だろうか――庭に植えられた色とりどりの花々を思い出し、彼は記憶を手繰る。
 ああこれは、ケリアの花だ。確か別名は面影追草。
 鮮やかな黄色をしていて、「謙遜」を花言葉に持つ。今頃庭のどこかで咲き乱れているであろうケリアの花を思い浮かべ、彼はくつくつと喉の奥を鳴らした。
 今度誰かに贈ってやろう。どこの姫君がいいだろうかと考えて、きゅうと口端を吊り上げる。
 その姿は計算されつくされた彫刻のように美しい。
 均整のとれた体躯、甘い声音、青海色の切れ長の双眸。
 そのすべてが完璧と表現するに相応しい美を誇っていたが、唯一彼の銀髪だけは調和の取れた美の中で異色を放っていた。手入れの行き届いた髪は並大抵の女には負けないほど艶やかなのだが、長さが不揃いなのだ。
 長いものはそれこそ腰まであるが、短いものは肩につかないあたりで切られている。
 風が吹くたびに順を追って流れていく銀髪は、不思議なことに見苦しくなどなく、むしろその反対で優美であった。

 これも元々持つ青年王の艶麗さゆえだろう。
 アスラナ王国随一の容姿を誇る彼は、形よい唇を指先でなぞると、楽しくて仕方がないといったような笑みを浮かべて「そろそろかな」とひとりごちる。
 その声に呼ばれたかのように、風が騒いだ。
 ――こんこん、と扉を叩く音がして、青年王は顔を上げた。返事をすれば、静かに扉が開かれてまばゆい白が滑り込んでくる。

「陛下、シエラをお連れしました」
「ご苦労だったね、ライナ嬢。ありがとう」
「いいえ。シエラ、どうぞこちらへ」

 単調な口調ながらも、鈴を転がすようなやわらかな音色は優しい。
 開け放たれた扉の向こうにいた人物へ手を差し伸べたライナは、ちらとユーリに視線を向けてからその人物を部屋の中へ招き入れた。
 そこでユーリは、珍しく驚愕に目を瞠った。
 視界に飛び込んできたのは、まさに奇跡の青。
 海の色でも空の色でもない蒼は、決して人の手では表現しきれない色だ。
 芸術家達がこぞって欲しがるだろうその色彩を惜しげもなく髪に宿し、涼しげな顔をした大人びた少女がライナに手を引かれてヒールを鳴らす。
 無感動な目を青年王に向けた少女は、肖像画の天使よりも美しい――それこそ、女神のような存在だった。
 さすがは神の子、と小さく舌の上で転がして、彼は優しくはにかんでみせる。
 大抵の女はこれでころりと態度を変えた。それに加え、脳髄にまで響く声音で囁いてやれば、この娘はどういった反応をするだろうか。
 湧き上がる悪戯心に頬が緩むのを抑えながら、彼はすっと手を伸ばす。

「ようこそ、アスラナ城へ。神の後継者殿、お待ち申し上げていたよ。私はこの国の王、ユーリ・アスラナ。これから困ったことがあったら、なんでも相談してくれたまえ」

 淀みなくそう言ってユーリはシエラの手をとる。腰を屈めて唇を寄せれば、慌てた子猫が飛び退るかのように手が引かれ、口付けは空振りに終わってしまった。
 おや、と彼は目をしばたたかせる。
 見上げた先には困惑と嫌悪を混ぜたような顔をしているシエラが、どうしたものかとライナに視線を向けていた。金の美しい双眸は陽光を弾き返さんばかりの勢いで澄み切っているが、そこに映し出されたのは戸惑いだ。

 ――これは面白い。

 くつくつと喉を鳴らし、彼は口端をさりげなく吊り上げる。
 今まで、誰として彼の誘いを拒んだ者はいない。手をとり、口付ければどんな女性でも頬を染め、ついと目を逸らすか魅せられて目を逸らさなくなる。
 だのに彼女は、それを真っ向から拒絶してみせた。このような女性は、見たことがない。

 さあどうしてやろう――そんな考えを読み取ったのか、ライナが警戒した眼差しで彼を見た。
 シエラを後ろ手に庇うようにして前に立ち、愛らしい顔立ちに白々しい笑みを浮かべる。

「陛下、なにやら余計なことを考えていらっしゃるようですけど、くれぐれもシエラに手を出すような真似だけはしないで下さいね?」
「おやおやライナ嬢、当然だろう? 分かっているよ、安心したまえ」
「ならいいんですけど。ではシエラ、一応ご挨拶を」

 ライナの手がシエラの肩に添えられる。優しい笑みにつられたのか、シエラは無表情のまま頷いてユーリを見た。
 この世のものとは思えない美しい「蒼」が動くたびに揺れ、さらりと流れ落ちていく。人の手では作り出せない色だろう、とユーリは思った。
 ほんの一呼吸分待って、耳に運ばれてきたのは中性的な声音だ。それさえも彼女の美を引き立てる。
 それはまさに、神に愛された子。

「シエラ・ディサイヤ。……世話になる」
「君のような美しい女性のお世話なら、喜んで。今日からはこの城が君の家となる。ああそうだ、城内散策でもしておいで。今後のことはライナ嬢に伝えておくから、好きなように見て回るといい。供は必要かな?」
「別に必要ない」
「ふふ、物怖じしない姫君だね。では行っておいで、“蒼の姫君”」

 後ろでライナがなにを考えているんですか、とでも言いたげな視線を送っている。
 それに気づかないふりをしてユーリは微笑み、漆黒のドレスがしゅるりと衣擦れの音を立てるのを聞いた。
 あからさまに不愉快そうな顔をしているシエラだが、この場を去っていいと知って躊躇うことなく踵を返す。
 かつかつとヒールの音が室内に反響していたが、それをはしたないと思うものはここにいなかった。
 この城を全く知らないというのに臆することなく歩を進めるシエラの後姿を見て、ユーリは感心と呆れをない交ぜにしたような笑顔を浮かべる。珊瑚のような艶やかな唇に乗せられたそれに、ライナが怪訝そうな視線を向けていた。
 完全にシエラの姿が消えてから、ライナが瞳を険しくする。



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